tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

同時進行!平城遷都1300年(21)探訪ツアーガイド初体験

2010年04月30日 | 平城遷都1300年祭
私にとって昭和の日(4/29)は、「天平の日」だった。この日、平城宮跡ガイドツアー(「平城宮跡探訪ツアー」の1つ)で、初めてボランティアガイドを務めたのである。

ガイドは2人1組(1人はメインガイド、1人は人数確認や誘導を行うサポートガイド)で、最大20人の参加者を案内する。通常は1.5時間コースだが、2.5時間コースもある。私はHさん(2010年塾の卒塾生)とペアを組み、午前の部は私がメインガイド、午後の部はHさんがメインガイドを務めた。


まずは朝礼で伝達事項を確認

この日のために、私は4/25(日)、知人のtsujikenさんのガイドツアーに同行し、予習させていただいた。4/29は、逆にtsujikenさんが私のガイドツアーに同行された。彼は、私がガイドする様子をたくさん写真に撮って下さったので、あわせて紹介させていただく(当記事の写真は、スタッフ弁当以外はすべて彼の撮影である。tsujikenさん、有り難うございました)。
※探訪ツアーに潜入(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/4bcaf4ebb810613c8e2d5a56242b401a


部屋のポスターを使って、オリエンテーション

当日は10:05、探訪ツアーセンターに入った。ここで朝礼があり、平城遷都1300年記念事業協会スタッフから、伝達事項を聞く。そのあと各オリエンテーションルームに入って配布物の準備をする。10:45に参加者が部屋に入ってきて、いよいよ説明の開始である。参加者は団体ではなく、わざわざ個人で申し込まれた熱心な方ばかりである。ここでの説明は平城京と平城宮について、そしてイヤホンガイドの取り扱いや、コースを歩く上での留意事項(踏切に注意、列を離れないことなど)などである。


空も快晴、いざ出発!

15分の説明を終えて屋外へ。まず訪ねたのは遣唐使船。航路や回数、船の収容人数などを説明した後、阿倍仲麻呂が詠んだ望郷の歌(天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも)を披露。百人一首に入っているので、皆さん、興味深そうに聞いておられた。


朱雀門前

次は朱雀門。ここから始まる朱雀大路の規模(幅75m、長さ4km)が国際空港の滑走路に匹敵する旨などを説明。門前の広場には、奈良時代と同じく柳がたくさん植えられていることから、大伴家持が越中で詠んだ歌(春の日に張れる柳を取り持ちて 見れば都の大路し思ほゆ)を披露。


大伴家持の歌などを紹介


20人のツアーを率いる

なかなか通れない電車の踏切を渡り、南門の基壇へ。ここで第一次(中央区)朝堂院基壇を見渡す。四堂朝堂と呼ばれた4つの巨大な建物があったことを示す基壇を紹介(当初はこれらの基壇にも上る予定だったが、前日からの雨で芝生に水たまりができていることが判明し、断念)。


第一次(中央区)朝堂院基壇を見渡す



第一次大極殿院にほど近い南門(なんもん)広場へ。中国における道教の「太極(=北極星)思想」を紹介。そしてお待ちかね、大極殿の真ん前へ。大仏殿との比較の質問があったので、用意してきた数字を紹介(大仏殿がひと回り大きい)。ここで元明天皇の平城遷都の詔(みことのり)を読み上げて、解散した。


大極殿前で「平城遷都の詔」を読み上げた

ツアーは1.5時間の予定だったが、10分ほど早く終えることができた。早すぎてもいけないので、妥当な線だろう。何しろ初めてのツアーガイドだったし、時間配分も間違っていなかったので、自分では(奈良検定ならギリギリ合格の)70点をつけたいところだ。しかし、参加者の皆さんは、どう思われただろうか(もしこのブログをご覧なっていれば、ぜひコメントを頂戴したい)。


サポートガイド役のHさんと(午後はHさんがメインとなって小学生の修学旅行をガイド)

tsujikenさんのガイドを拝見し、また 「30分も早く終わってしまった」というkomakusaさんのお話を聞きし、自分なりのツアーを組み立てた。得意ではない建築物や宮跡の自然の話にはあまり触れず、万葉集や古今集といった文学方面や、テレビで見たばかりの遣唐使の話などに力点を置いた。「大遣唐使展」を見ていたことも役に立った。写真撮影を望まれる方が多いと聞いていたので、撮影タイムも設けた。参加者の方には小休止にもなるので、一石二鳥だと考えた。


ご飯がたっぷりのスタッフ弁当で、満腹になった

ともあれガイドツアーは始まったばかりだ。5/1(土)もツアーがあるし、6月末まで、気が抜けない。1人でも奈良ファンを増やせるよう、心して取り組みたい。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大安寺で「奈良の八重桜」を発見!

2010年04月28日 | 奈良にこだわる
4/26(月)、「ナント・なら応援団」(南都銀行退職者によるボランティアグループ)の活動を支援するため、大安寺(奈良市大安寺2-18-1)を訪れて、驚いた。ナラノヤエザクラ(奈良の八重桜)が咲き始めていたのである。お寺の方によると、縁あって、東大寺知足院の「ナラノヤエザクラ」を接ぎ木されたものだというから、これは本物である。まだ3分咲きだったが、これから順次開花していくことだろう。おそらく森林インストラクターのひろこさんも、ご存じないだろう。
※お寺の公式サイト
http://www.daianji.or.jp/

この桜をご存じない方のために、Wikipedia(ナラノヤエザクラ)を引用しながら、私がこの日に撮った写真を紹介する。《ナラノヤエザクラ(奈良の八重桜)もしくはナラヤエザクラ(奈良八重桜)(学名: Prunus verecunda 'Antiqua')はサクラの栽培品種の一つ。オクヤマザクラ(カスミザクラ)の変種で、4月下旬から5月上旬に開花する八重桜である。他の桜に比べて開花が遅く、八重桜の中では小ぶりな花をつけるのが特徴である》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%A9%E3%83%8E%E3%83%A4%E3%82%A8%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%A9



《ナラノヤエザクラは『詞花集』の伊勢大輔の和歌により著名になった八重桜である。『詞花集』には「一条院御時、奈良の八重桜を人のたてまつりて侍けるを、そのおり御前に侍ければ、その花をたまひて、歌よめとおほせられければよめる」とあり、伊勢大輔は「いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな」と詠んでいる。一条院御時から数えてちょうど1000年目をむかえている。奈良の文化の一片を今に伝える桜である。奈良を代表する花として、奈良県花、奈良市章・市花に用いられる》。

《「奈良の八重桜」はれっきとした八重桜の一品種であり「奈良に植わっている八重桜」の総称ではない。ナラノヤエザクラは落葉高木であり、カスミザクラが重弁化した変種であると考えられている。ナラノヤエザクラの繁殖力は極めて弱く、殖やすのが非常に難しい。樹勢は弱く、寿命も短い。後述する「知足院奈良八重桜」も1923年に天然記念物に指定された樹は既に枯れてしまっている》。



《芽は赤紫色を帯びた褐色をしている。芽は最終的に、長さ 5 cmから 9 cm、幅 2.5 cmから 5 cm に成長した葉になる》《葉身の全体の形は長楕円状倒卵形で、葉身の先端は尾状鋭尖形をしている。葉身の基部は円形もしくは心臓形(ハート型)で、ほとんどが円形である。葉身の周辺にある鋸歯は重鋸歯(大きなギザギザにさらに小さなギザギザあること)で先端は鋭く尖っている(鋭尖形)。葉身の表側は暗い黄緑色をしており、光沢は無く、表側の全面に毛がまばらに存在する。葉身の裏側は白っぽい黄緑色をしており、葉脈の上に毛が生えている。葉柄には伏せていない毛(開出毛)が生えており、上端から少し下に濃い紅紫色の蜜腺が存在する》。

《花序は散房花序をしており 2 - 4 花からなる。鱗片葉は紅紫色、苞は緑色で基部は紅紫色をしている。花柄と小花柄には白色の開出毛が存在する。萼筒は長鐘形をしており、外側に毛がまばらに存在する。萼裂片は内側外側とも毛がないが縁に縁毛がある。花弁は「奈良市史 自然編」によると 22 枚から 79 枚、「新日本の桜」によると 30 枚から 36 枚とされる》。



《花弁は楕円形で先端は二つに深く裂けたいわゆる「桜の花びら」の形をしている。花弁の色は淡い紅色である。雄しべは「奈良市史 自然編」によると 10 本から 42 本、「新日本の桜」によると 32 本から 45 本とされる。雌しべは 1 本から 4 本である》。



《ナラノヤエザクラはカスミザクラが重弁化した品種であるため、八重桜にしては小ぶりで清楚な花を咲かせる。花は 4 月下旬から 5 月上旬に咲き、ゴールデンウィークの頃に満開となる。他の八重桜と違い、ナラノヤエザクラには果実がよく実る。ただし、果実は若いときに枝から落ちることが多く、残って成熟する果実は珍しい。ナラノヤエザクラの花には複数の雌しべがあるため、果実もしばしば複数個くっついた状態になっている。果実は黒く熟し、食べると苦味と酸味がある》。



《奈良の旧都に美しい八重桜があった事実は『詞花和歌集』『袋草子』『沙石集』『徒然草』などの文献に、また江戸時代の図譜として残されている。江戸時代初期、1678年に出版された『奈良名所八重桜』は奈良の八重桜について記述している。『奈良名所八重桜』は名所案内記に名をかりたフィクションであり、東大寺、興福寺はじめ作り話が多い》。



《ナラノヤエザクラは伊勢大輔の詠んだ和歌により名高い。いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな 『七大寺巡礼私記』には、奈良の都の八重桜が植わっていた場所と開花時期が記載されている。記載によると、奈良の八重桜は興福寺の東円堂にあり、他の全ての桜が散ってから咲く遅咲き桜であったとされる》。



《1922 年に東京大学の植物学者であった三好学が東大寺知足院の裏山に植わっていた特徴ある八重桜を岡本勇治の案内で視察(調査)した(三好の岡本への追悼文より)。小清水は1922年4月に三好が発見したとするが、三好の論文の掲載号はこの年の1月である。三好は論文で産地として「京都と奈良」をあげている。ナラノヤエザクラは岡本勇治が大正10年頃(この年に三好が来県しているので早い月か前年)に天然記念物指定申請をおこなっている。申請は知足院のほか師範学校、春日神社(現春日大社)の三樹である。大阪朝日新聞大和版にも関連の記事がある。この「知足院の奈良八重桜」は1923年に国の天然記念物に指定されている》。



《ナラノヤエザクラは奈良を代表する花として1968年には奈良県花に制定された。さらに1998年には奈良市花に制定されている》。

小さくて可憐なこの桜は「知る人ぞ知る」桜であったが、最近は奈良女子大や今西清兵衛商店、植嶋などの「奈良八重桜プロジェクト」で、次第にメジャーな存在になってきた。
http://www.nara-wu.ac.jp/liaison/product/narayae.html

東大寺、奈良公園、奈良新公会堂、奈良県庁東駐車場、奈良女子大、若草山麓、春日大社、奈良ホテルなどとともに、大安寺のナラノヤエザクラも、ぜひ楽しんでいただきたい。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同時進行!平城遷都1300年(20)探訪ツアーに潜入

2010年04月26日 | 平城遷都1300年祭
4/24(土)、平城遷都1300年祭の平城宮跡会場がオープンした。翌日(4/25)の朝日新聞によると《時空の扉 開く 平城遷都1300年祭 県内外から3万4000人来場》《24日開幕した平城遷都1300年祭の主会場、平城宮跡会場(奈良市佐紀町)には、県内外から予想を上回る約3万4千人(主催者発表)の来場者が詰めかけた。施設には長い行列ができたものの、大きな混乱はなく、心配された交通渋滞はほとんどなかった》。

参考:平城宮跡会場内覧会(報道関係者用)の模様


《主催者が最も気をもんだ交通渋滞は、マイカー自粛や郊外の駐車場からシャトルバス利用を勧める「パーク&バスライド」の事前PRが奏功したためか、「いつもの土曜よりすいている」(日本道路交通情報センター)状況だった》。
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000001004250002


近鉄大和西大寺駅南口のシャトルバス乗り場

私は4/25(日)、平城宮跡会場を訪れた。4/29(祝)に私がボランティアガイドを務める平城宮跡ガイドツアー(「平城宮跡探訪ツアー」の1つ)の予習のため、知人のtsujikenさんとD井さんがガイドする様子を見せてもらいに来たのである。
※平城宮跡ガイドツアー(平城遷都1300年記念事業協会のサイト)
http://www.1300.jp/event/detail/kyuuseki/keve100326.html


1台、バスを見送った

この日は近鉄大和西大寺駅から無料シャトルバスに乗った。最初来たバスには乗れず、次のバスに乗り、会場に向かった。駅南口にある乗り場でバスに乗り、まっすぐ南下して大宮通(阪奈道路)に出て、朱雀門の西側から宮跡会場(エントランス広場)に向かうというルートだ。これは、よく考えたものだ。しかし待ち時間を入れると駅から30分以上かかったので、結果的には歩いた方が早かった。



会場にはたくさんの人が詰めかけていた。来場者によると「昨日より多い」とのことで、確かに今朝(4/26)の新聞各紙には、2日目(4/25)の来場者は3万8千人(前日比+4千人)と出ていた。


出展参加ホール

ツアーがスタートする「探訪ツアーセンター」のお隣りの「出展参加ホール」では、国交省の「国営平城宮跡歴史公園の模型展示」(常設展)のほか、奈良交通が「バスで巡る奈良・大和路の観光案内」展をしていて、多くの人を集めていた。


パナガイドの説明。向かって右がtsujikenさん、左がD井さん


「平城京」と「平城宮」は違うのです(tsujikenさん)

さてガイドツアー(1.5時間コース)は、参加者(東海地方の史跡探訪愛好者団体)のバス到着が遅延したため、10分遅れの11:40にスタートした(解散は大極殿前で13:00)。まずはオリエンテーションルームでパナガイド(無線レシーバー)を装着し、平城京の歴史を学ぶ。説明はメインガイドのtsujikenさんである。


ツアーセンター前をいざ出発


遣唐使船の前で熱弁

次は遣唐使船の説明である。周囲には多くの人がいてザワザワしているが、tsujikenさんの声は直接イヤホンに入ってくるので、とても鮮明である。tsujikenさんは「吉備大臣入唐絵巻」の図版などを使いながら、丁寧に説明される。このあとは、すぐ東にある朱雀門に回る。


朱雀門前で

ここで、1つハプニング。このグループは、探訪ツアーセンターに13:00までに戻らなければいけない、というのだ。解散場所の大極殿からツアーセンターへは徒歩で20分はかかるので、12:40分には解散しなければいけない。ツアーは10分遅れでスタートしているので、1.5時間のツアーを1時間でこなさなければいけない計算になる。


最後尾を固めるD井さん

途中、近鉄電車の踏切やトラムの通行などで、行列が止まることがあったし、時々立ち止まって記念撮影される方もいたが、そこはtsujikenさん、うまく説明を端折(はしょ)られ、ちゃんと対処されていた。サポートガイドD井さんも、列の最後尾でうまくフォローされていた。結局、予定時刻の12:40ジャストに、大極殿前で解散することができた。めでたし、めでたし。こんな事態も考慮に入れておかないといけない、という良いお手本になった。



私はこのツアーを拝見して、1つ良いアイデアを思いついた。tsujikenさんのように、説明を短くして時間に余裕を作る。そして時計と周囲の混雑状況をにらみながら、記念写真の撮影タイムを作るのだ。トイレ休憩を兼ねるのも良い。シャッターを押したりすれば、奈良の好感度も高まることだろう。早速、自分のシナリオに書き込むことにしよう。



たいていの来場者は、大極殿の大きさに驚いていた。東大寺大仏殿より、ずっと小さいのだが(大極殿=間口44m、奥行20m、棟高27m。大仏殿=間口57m、奥行50m、棟高49m)。奈良新聞(4/25付)にも《広さ大きさに驚嘆 大極殿》《奈良時代に国家儀式が行われた空間を体感しようと、第一次大極殿にも大勢の見学者が訪れた》。
http://www.nara-np.co.jp/20100425111951.html


大極殿の基壇の上から、薬師寺の塔や唐招提寺金堂が見渡せる

《神奈川県川崎市の梶川健司さん(76)は「これだけ広い空間が保存されてきたのがうらやましい。神奈川県にこんな場所はありません」、南門広場で古代衣装を借りて散策した奈良市の前田恵美さん(31)は「大きさだけでもびっくりします。昔の人もこんな姿で歩いていたんでしょう。貴重な体験ができました」と笑顔で話した。前庭にはいくつもの花壇が設けられ、大極殿を背景に記念撮影する姿も見られた》。


衛士隊の再現





tsujikenさんたちと分かれて、会場内を散策した。途中で衛士隊の再現や、天平衣装をつけた女性たちに出くわした。何だか古代にタイムスリップしたようで、とても楽しい。これまでに2度、内覧会に参加したが、どちらも雨だったので、印象は良くなかったのだが…。皆さん、平城宮跡会場は、天気予報を確かめてからお訪ねいただきたい。また、日差しを遮るものが少ないので、夏場は避けた方が無難である(ガイドツアーも夏場はお休みだ)。
※天平衣装体験(同協会のサイト)
http://www.1300.jp/event/detail/kyuuseki/0701.html




神戸から来たという天平衣装の女の子たち。ポーズもキマっている

「クーカルイタリアン・イン奈良」の店舗も見てきたが、ちょうど良い具合に繁盛していた。奈良新聞(4/25付)によると、このお店は《県産の食材を使い、イタリアンの有名シェフが腕を振るう「クーカルイタリアン・イン・奈良」(同実行委員会主催)が平城宮跡会場の交流広場で開幕。開店前から食事を求める人の列ができた》。
http://www.nara-np.co.jp/20100425135956.html


クーカルイタリアン・イン奈良

《シルクロードでつながれた奈良とイタリアを食で結ぶ催し。4店舗が並び、有名シェフが考案したパスタやジェラート、ピッツァなどを手軽な値段で提供。オープンテラスは多くの人でにぎわった》。というものである。


鳥も水浴び。宮跡は地下水位が高いので、こんな池があるのだ


こちらは湿地。高い地下水位が木簡を守った

それにしても、この日は暑かった。読売新聞(4/26付)には《最高気温が約20度となった会場では、「日なたを長時間歩き回ることを避け、水分補給を」とのアナウンスが流れた。来場者からは、会場で配布されたうちわが人気で、ソフトクリームの販売が好調だった》。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20100426-OYT8T00016.htm


朱雀門の前で集合写真を撮る団体。暑いので大変だ

《エントランス広場の案内所前では、奈良市商店街振興会のスタッフが、大極殿の写真と、せんとくんのイラスト入り特製うちわを配布した。裏側には、加盟31商店街と観光名所を記した地図を掲載。約2時間で1日に配布予定の3000枚に達し、大花章義専務理事(69)は「これから好天が続くので、うちわで暑さをしのぎながら、商店街にも興味を持って」とPRした》。


ランチは「四季旬菜大和路」(フードコート内)でミニ大佛うどんとめはり寿司のセット550円。卵を練り込んだ麺が良い

《フードコートでは、ソフトクリームが前日の約4倍の売れ行き。子ども2人と大極殿、まほろばステージを約3時間かけて見学した奈良市富雄の会社員雨宮康幸さん(41)は「休憩所が少なく、熱中症が心配。夏場は暑さ対策をしっかりしないと」と話した》。


フードコート内の「奈良地産野菜と天然酵母パンの店Buono(ボーノ)」でパンを買って帰った。とても美味しい

帰りは近鉄大和西大寺駅まで歩いた。シャトルバス乗り場には長蛇の列ができていて、30分待ちと告げられたからだ(JR奈良駅や近鉄奈良駅行きのバスは、あまり並んでいなかった)。大和西大寺駅で、当ブログ読者のyokoさんにお会いした。駅のすぐ近くにお住まいだという。「宮跡会場がオープンすると、渋滞で外へ出られないと思っていましたが、とてもスムーズで驚きました。昨日は自転車で会場を訪ねました」とのことだった。

問題は4/29からのゴールデンウィークだ。この期間中、私はボランティアガイドとして2回会場を訪れるので、追って当ブログでレポートすることにしたい。

tsujikenさん、D井さん、日曜日は有り難うございました。とても参考になりました。しばらく忙しいですが、頑張って務めを果たしましょう!
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナント・なら応援団

2010年04月24日 | 観光にまつわるエトセトラ
「ナント・なら応援団」というボランティアグループがある。南都銀行の退職者27人で構成される団体だ(事務局として参加している現役行員4人を加えると、計31人となる)。平城遷都1300年祭の「祈りの回廊~奈良大和路秘宝・秘仏特別開帳」に協力するため、本年1月に発足した。

読売新聞(奈良版 4/20付)が、その発案者であり事務局を務める人物として、私を紹介して下さった。なんとも面映ゆいのであるが、ここでその一部を紹介させていただく。タイトルは《[魅せる奈良 1300年祭 伝える人たち](1)「ナント・なら応援団」鉄田憲男さん 56 (奈良市) 心の古里 奥深さ案内》。
※読売新聞の記事全文はこちら
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/feature/nara1271684749175_02/news/20100419-OYT8T01269.htm

《勤め先の南都銀行で今年1月、OB27人とボランティアガイドサポーター「ナント・なら応援団」を結成した。平城遷都1300年記念事業協会の職員との雑談の中で、「県内の文化財を一斉に特別公開したいが人手が足りない」と漏らすのを耳にしたのがきっかけだった》。

「人手が足りない」という話を聞いたのは、08年の12月頃だった。その時、ふと「私のような現役ではムリだが、OBならできるかも知れない」と思った。県下のNPO法人の中には、企業が関与し、OBを送り込んだり、助成金を与えたりしているところがある。それはOBの生きがいづくりになるし、地域も感謝してくれる。企業イメージもアップすることだろう。


ナント・なら応援団の発足式(1/27)

「1300年祭ともなれば、各企業は寄付などの資金協力をするだろうが、それより“人”の協力の方が喜んでもらえるのではないか」と考えた。135億ドルもの資金協力をしながら、「汗を流していない」と非難された湾岸戦争のことも、念頭にあった。

会社から大筋の了解をとりつけたのが09年2月。それ以降、70歳以下のOBにアンケート調査を実施した。結果、「観光ボランティアガイドに興味がある」という人は約50人いたが、研修や現実のガイド活動に参加できるOBは、27人だった(「森林ボランティアに興味がある」というOBも多かった)。27人の中には、奈良まほろばソムリエ検定(奈良検定)のソムリエや1級合格者もいた。

《メンバーは日本史や文化財の専門家の講義を受け、法隆寺(斑鳩町)や大安寺(奈良市)など9寺院と国史跡「頭塔(ずとう)」(同)で活動する。担当の割り振りなど裏方を務めながら、自身も観光客の前に立つ》。研修(座学)は09年8~9月、奈良大学から講師を招き、全10日間・計20時間(1時間=80分)かけて、みっちりと行った。お寺などを訪ねる実地研修もやった。本年1月には発足式を行い、役員から全員に「ナント・なら応援団 団員証」をお渡しした。


発足式では司会を務めた

お寺などへの派遣は本年2月から始めた(11月まで)。派遣先は、中宮寺、法隆寺、伝香寺、薬師寺、大安寺、岡寺、頭塔、当麻寺、矢田寺(金剛山寺)、秋篠寺の10か所である(派遣日順)。派遣前には担当するOBと現地を訪ね、故事来歴の説明を受け、誘導路・駐車場などを確認する。
※毎日新聞の紹介記事(観光客の誘導や案内、寺の業務をサポート)
http://mainichi.jp/kansai/sento1300/news/20100222ddlk29040209000c.html

おかげさまで拝観者にもお寺にもご好評いただき、中宮寺からは感謝状を頂戴した。担当したOB全員に感謝のお手紙を書いて下さる、というお寺もある。次第に噂が広がり、「ウチにも来てほしい」というリクエストも、たくさんいただいている(派遣先の追加は、今夏以降に検討する予定)。
※奈良新聞の紹介記事(1300年祭お助けガイド)
http://www.nara-np.co.jp/20100311104920.html


中宮寺では、OBが感謝状をいただいた(3/16)

《4年半前に始めたブログには、県内イベントの体験ルポや奈良に関するコラムをまとめた「奈良にこだわる」、飲食店を紹介する「グルメガイド」を掲載、1日平均1000人が閲覧する人気ブログになっている》。1300年祭のおかげか、最近になってアクセス人数は1日あたり約1200人(約4500ページビュー)で推移している。これは有り難いことである。

《「地元で生まれ育った人よりも詳しくなりましたよ。素朴で落ち着いた奈良が大好き。私だけでなく、訪れる皆さんにとっても心の古里になるはず」と笑みがこぼれた》。いよいよ今日から平城宮跡会場がオープンした。ここでは「平城宮跡探訪ツアー」が行われるが、私も4~6月の土日祝のうち6日間、ツアーガイドを務めることになっている。

平城遷都1300年祭は、多数のボランティアが、1年の長きにわたり縦横無尽に活躍する「手作り」のイベントである。それだけに、県民などもてなす側の力量が問われる。「奈良へ行って、とても感じの良いおもてなしを受けた」と言っていただけるよう、努めていきたい。 
※トップ写真は薬師寺玄奘三蔵院。取材時(3/8)に撮影していただいたもの

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1300年記念弁当 & 遷都すしバーガー

2010年04月23日 | 平城遷都1300年祭
昨日(4/22)から、県下のセブンイレブンとイトーヨーカドー奈良店で「平城遷都1300年記念弁当」が発売された。奈良新聞(4/22付)によると、
http://www.nara-np.co.jp/20100422102541.html

《きょうから1300年記念弁当 県産食材が8割以上 県とセブン・イレブン・ジャパン共同企画》《県はコンビニ大手のセブン・イレブン・ジャパン(東京都)と、県産食材をふんだんに盛り込んだ共同企画弁当の第4弾「平城遷都1300年記念弁当」を開発し、きょう22日から県内のセブン・イレブン61店とイトーヨーカドー奈良店で発売を開始する》。

《今回は県認定の大和野菜をはじめ、過去最多の13品目の県産食材を料理の8割以上に使用。1300年の節目に県内の食文化をPRし、販売期限の5月14日までに約1万2000個の販売を目指す。平成20年4月に締結した包括連携協定に基づく取り組みの一環》。

《弁当は県などが食材や料理などを提案し、同社担当者らと協議を重ねて開発。ご飯は、県産小松菜を混ぜた菜めしの筒型おむすびに野迫川村のわさびなどをのせて大仏の螺髪(らほつ)をイメージ。おかずは、大和野菜の丸なすなどを揚げて煮た「彩り野菜の揚げ煮」や大和牛で野菜を巻いた「牛野菜巻き焼き」のほか、県の推奨料理「奈良のうまいもの」の「大和まなの煮浸し」などを詰め込んだ。価格は平城遷都の年号にちなみ710円、カロリーは701キロ》。




《21日の定例会見で弁当を試食した荒井正吾知事は「味付けが工夫され、今までで一番おいしいお弁当。平城宮跡会場で大極殿などを見ながらくつろいで食べてほしい」と太鼓判》。

早速、昨日の会社の帰り、近鉄奈良駅前店で買ってきた。説明書きによると、使われている県産食材は、大和牛(やまとうし)、ヤマトポーク、丸茄子、大和まな、菊菜、小松菜、水菜、青葱、胡瓜、トマト、わさび茎、梅干。調味料にも、片上醤油(御所市森脇)の木桶仕込み醤油が使用されている。

これは豪華だ、これで710円は安い。若い人には大和牛野菜巻き(赤ワインソース仕立て)、鶏の炭火焼き(片上醤油使用)、ヤマトポークの炭火ねぎ塩豚焼き肉が受けるだろうし、年配の方には田楽、大和まなの煮浸し、彩り野菜の揚げ浸し(菊菜、丸茄子など)、野菜春雨炒め(水菜、トマトなど)を気に入っていただけるだろう。何より、大仏さまの螺髪をかたどった手鞠おむすび(わさび海苔佃煮・梅・おかか)が美味しいし、ボリュームたっぷりだ。

人工甘味料や化学調味料のくどい味はしない。相当抑えているのだろう。販売は5月14日までだそうだが、ぜひ、大いにPRしていただきたいものだ。

一方、4/24にオープンする平城宮跡会場では、東鮓の「遷都すしバーガー」(680円)という面白いお寿司が販売される。すでにホテル日航奈良のスタッフブログ(じゃらんnet)で紹介されている。
http://www.jalan.net/uw/uwp3500/uww3512.do?yadNo=399780&aid=0000709396

《お天気の良い日には青空の下お弁当を広げるのも気持良いと思います。会場内のお弁当屋さんには、ここでしか食べられないご当地バーガー「遷都すしバーガー」なるものが登場。古代米のバンズにスモークサーモン、クリームチーズ、海老天、煮あなごなど豪華な具がたっぷり挟んであり、なんと奈良漬まで入っています!試食させていただきましたが、ピリッときいたワサビと大葉の爽やかさが印象的な、あっさり和風テイストで食べやすかったです》。



黒米の酢飯という発想が面白いし、そこにロースハム、グリーンリーフ、キュウリ、焼海苔、卵焼きまで挟むという意欲を買いたい。4/16の内覧会で試食させていただいたが、とても美味しくて、お腹がいっぱいになった。この日、東鮓の「おべんとうや」には、600人を超える人が訪れたそうだ。
※あづまケータリングサービスのホームページ
http://www.azumazushi.co.jp/acs/

平城遷都1300年記念弁当にしても遷都すしバーガーにしても、奈良県産の食材を使っているところが有難い。奈良にうまいものあり・奈良にうまい食材ありを、大いにアピールしていただきたいものだ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする