山添村は巨石・巨岩の宝庫である。聖石、石神、磐座(岩座、いわくら、イラクラ)など様々に呼ばれており、今でいうパワースポット(スピリチュアルスポット)である。これら巨石は縄文人による「超古代巨石文明」の現れであるとして、02年7月には「山添村いわくら文化研究会」が設立された。奥谷和夫さん(山添村観光ボランティアの会副会長)は、この会の副会長も務めておられる。
「研究会」のHPで奥谷さんは《①調査の結果、鍋倉や他の「いわくら」は自然にできたものではなく、誰かが(古代の人)何らかの意図をもって作ったものである。したがって、そこに法則性がある。②誰が、いつの時代に、何の目的でつくったかが明らかになれば、超古代の大和高原の姿、大和の原像、そして日本の原像が見えてくるのではないか》と書かれている。
http://www1.kcn.ne.jp/~k-okutan/framepage2.htm
布目(ぬのめ)ダムとダム湖(2/18撮影)
遊絲社(ゆうししゃ)からは『イワクラ』(税込1,680円)という本(新書版)も出た。《古来、秀麗な姿を持つ山には神が宿るとされ、人々はその山中の奇岩や巨石を神が降臨する岩、『磐座(イワクラ)』と呼んだ。最新の古代の信仰や呪術・祭祀に関わる遺跡・遺物の調査から「イワクラ」「古代文化」の正体に迫る渾身のレポート》である。奥谷さんはこの本の共著者のお1人だ。
http://www.yuubook.com/center/hanbai/syoseki_syousai/syousai_iwakura.html
オカルト系の月刊誌『ムー』(学習研究社)でも、「奈良のメガリス・オーパーツ(=謎の巨石遺跡)」(02年12月号)として紹介された。
布目ダム湖(同)
今回(2/18~20)、奥谷さんに村の巨石群をご案内いただいた。これが「超古代巨石文明」を現すものかどうか、私には判断がつかないが、少なくとも漢字の「磐座」であることは間違いない。つまり《社殿の発生以前の信仰的対象物。(中略)神が降臨した際に座す石という観念より起こったもの》(『日本考古学小辞典』ニュー・サイエンス社刊)である。
村の巨石は、3つのエリアに集中している。ちょうどこの順にご案内いただいたので、以下に紹介させていただく。
http://www1.kcn.ne.jp/~k-okutan/framepage2.htm
1.布目(ぬのめ)ダム周辺(奈良市との境に近い同村北西部エリア)
http://shigeru.kommy.com/nunomedamusekibutu.htm
2.神野山(こうのさん)周辺(同村中西部エリア)
3.中峰山(ちゅうむざん)周辺(伊賀市との境に近い同村東部)
1.布目ダム周辺
●共同墓地六地蔵磨崖仏(牛ヶ峰)
2/18(水)、ダム近くの東山公民館で待ち合わせ、まずご案内いただいたのが、湖畔の牛ヶ峰共同墓地内の六地蔵磨崖仏(まがいぶつ)である。ここはダムに沈んだ牛ヶ峰の民家(6軒)の共同墓地だ。ここに車を駐めて、山に入る。
●岩屋枡型(牛ヶ峰)
「岩屋枡形石 600m」の道標から、急な山道(幅約1mの階段)を登ると、まずは「岩屋」に到着する。
ここに「金剛界大日如来線刻磨崖仏」がある。室町時代初期の作で、像高は約2m。これが高さ6m×幅13m×奥行き6mの巨石に彫られている。その下に岩屋(岩窟)があり、護摩壇がある。この岩窟は岩屋寺という寺だった。《この地域一帯をみやまと呼んでいる。中世以前の南都春日社境北野都杣の跡と考えられる》《牛ヶ峰善龍寺の僧はここにこもって山居した》と案内板(村の教育委員会)にあった。
ここから少し登ると「枡型(ますがた)」がある。切り立った巨石に枡形の切り込みが入っている。ここに大日如来を彫ったノミとツチが納められていたというが《枡型は本来仏像を安置する石の厨子(ずし)、すなわち石龕(せきがん)であったと思われ》ると村の案内板にある。
枡型石。上の方に小さな切り込み(枡型)が見える
牛ヶ峰周辺には巨石が多い。主なものを紹介する。
●不動磨崖仏(的野川西岸)
車で的野(山添村の西端)の村落に入ると、川沿いの道端に、南北朝時代のお不動さんが祀られている。小さくて愛らしい仏さまだ。お参りする人が多いのだろう、掃除も行き届いていた。
●地蔵菩薩立像(的野)
このお地蔵さんは村指定文化財である。案内板には《地蔵菩薩立像 正安三年(1301)的野区 的野川北岸の岩石に切り付けられた像高90cmの磨崖仏で「正安三年三月十日信賢信順」の銘あり。造像銘から鎌倉時代の石仏に相違ないがやや平面的な感がある。だれかの顔に似ていると思われる表情には、写実的な鎌倉時代の特色が見られ、当地における石仏を考究する貴重な資料である。山添村》。
●阿弥陀如来立像(八幡神社)
これも村指定文化財である。案内板には《阿弥陀如来立像 建長五年(1253) 八幡神社 鎌倉時代の作で「建長五年癸丑十月一日造立」の銘があり、有銘石仏では県下でももっとも古いものの一つである。材質が風化しやすい花崗岩のため、表面はやや風化しているが、作風もすぐれ像自体は充実した立像感にあふれている。山添村》。もと常照院というお寺の跡が、八幡神社になっている。
2.神野山(こうのさん)周辺
●鍋倉渓(なべくらけい)
2/19(木)には、鍋倉渓から神野山に登った。鍋倉渓については「ええ古都なら」(奈良の観光情報サイト)の説明が分かりやすい。《山添村でもっとも知られた磐座が、神野山にある鍋倉渓だろう。全長約650m、平均幅10mにわたって、黒々とした大小さまざまな石がるいるいと並んでいる。その風景はまさに奇観。昔話には伊賀の天狗と神野山の天狗がけんかをして投げ合ったといわれるが、実際は風化現象によって山の表面の地層が細かくなっていくときに岩石として残り、当時の谷底に自然と集まって、堆積したものと考えられている。石の下には伏流水が流れ、大和の名水にも選ばれている》。
http://www.nantokanko.jp/mytown2007
鍋倉渓
《この鍋倉渓は一説には「天の川」をさしているといわれる。また鍋倉渓の周囲にはたくさんの巨石があり、星座を地表に写しているというのだ。それによれば、まず鍋倉渓の脇にある「竜王岩」はアンタレスをさす》。
竜王岩
《また神野山山頂の「王塚」が白鳥座のデネブを、「八畳岩」が琴座のベガを、「天狗岩」がわし座のアルタイル(ひこ星)をさし、これらは「夏の大三角形」を写したものという。また八畳岩に近い「北斗岩」は北極星を表す。古代の人々も地表に描いた星座と宇宙とをみつめていたのだろうか。そう思うと何ともいえないロマンがかき立てられてくる》。
八畳岩
天狗岩
●天王の森(牛頭天王祭祀 峰寺)
布目川にかかる大橋の北側に隣接している。村の指定史跡で、案内板には《天王の森(牛頭天王祭祀)峰寺区 一種の巨石崇拝と考えられ、山頂の巨岩群に牛頭天王(ごずてんのう)を勧請(かんじょう)したので天王の森と呼ばれ、古くから神聖禁忌の地である。布目川の中にある水神の森(水神祭祀)とあわせて、近在の信仰を集めている。なお、布目ダム建設によって、この岩山の一部が道路敷となったが、巨岩は現状のままこの地に保存された。山添村》とある。
天王の森(牛頭天王祭祀)
牛頭天王は、神波多神社(同村中峰山)の祭神だった。神波多神社は畿内を護る疫神鎮座施設として大和国と伊賀国の境に設けられ、その祭神に牛頭天王(インドの疫神)を迎えた、ということのようだ。その信仰が村内で広まって祭祀が設けられたのだろう。
水神の森(布目川)
3.中峰山(ちゅうむざん)周辺
最終日の2/20(金)には、長寿岩と中峰山周辺をご案内いただいた。
●長寿岩(大西 ふるさとセンター内)
名阪国道山添インターからほど近い「山添村ふるさとセンター」(ふるさと創生1億円で建てられた)の敷地内にある巨大な岩である。直径約7m、重量約600t。縄は、村の若い衆によって、99年から掛けられているものだが、いい感じに仕上がっている。岩は「ふるさとセンター」建設途中に出土したもので、約700万円かけてここに移設したそうだ。
材質は花崗岩で、地中10km~20kmのところでマグマが冷えて固まったもの。約1億年前のマグマの活動が活発だった頃に誕生し、建設工事で地表に姿を現した。やがて長い年月をかけて風化され、砂や土に変わっていく。《赤道、子午線とおぼしき謎の十字ベルトがあり、夏至の太陽との関係がある》と注目する人もいる。
ご案内いただいた奥谷和夫さん
●中峰山の巨石
中峰山は名阪国道五月橋インターの南東、神波多神社の北東にある。ここは3日間の巨石巡り中の圧巻であった。
猪が掘り返した穴などを見ながら、枯葉を踏みしめて山を登る。下は雑木林だが、次第に杉の人工林に変わる。「もとは茶畑もあったんですがね」と奥谷さん。確かに、畝(うね)の石垣や野壺の跡が残る。
手毬岩(てまりいわ)
UFO岩
やがて巨石が姿を表す。名前は「山添村いわくら文化研究会」のメンバーなどが付けたものだそうだ。
男根石
下の岩は、大亀石とか八畳岩などと呼ばれている。記事冒頭の写真と同じ岩で、奥谷さんがとても小さく見える。何しろこの岩は、30m×15mはあろうかという超ド級の巨石なのである。
岩には亀裂が入っていて、長さ5mほどの小さな洞窟ができている。言い伝えによれば、ここから神波多神社の祭神(素戔鳴尊=牛頭天王)が出てきたという。
これらが単なる自然石なのか、磐座なのかを判定するには、「祭祀の跡があったか」がポイントになる。それは今後の「山添村いわくら文化研究会」の研究を待ちたいと思う。
それにしても貴重な3日間だった。すでに当ブログでお寺と神社を紹介したが、書き残した民宿や景色のことは、日を置いて紹介させていただくつもりである。こんなに魅力的な山添村があまり知られていないのは残念だ。次は桜の季節にお邪魔し、写真をたくさん撮らせていただきたい。
奥谷さん、3日間のご案内、本当に有難うございました。