tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

靖国神社に祀られた? 安倍元首相

2025年02月11日 | 日々是雑感
養老孟司、茂木健一郎、東浩紀の3氏の鼎談を収めた『日本の歪み』(講談社現代新書、2023年9月刊行)に、興味深い話が紹介されていた(〈安倍元首相の国葬について思うこと〉の節)。2024年11月に刊行された養老孟司著『人生の壁』(新潮新書)でも、養老氏がこのくだりを引用されていたので、再びこの話を思い出した。

これを当ブログで紹介しようとネットで検索をかけていると、講談社のHPに、『日本の歪み』から抜粋した〈「安倍元首相の国葬」と「日本の宗教」について、養老孟司・茂木健一郎・東浩紀が語り合う!〉という記事が出ていた。

ポイントは東氏の〈GHQの草案で作られた憲法では、国家が宗教的活動をすること、公金を供することを禁じている。だから体育館で葬儀をやるしかない。でもそれには根本的に無理がある。だから人々は近くの神社に行く。宗教色をなくした追悼なんてできないんです〉というところにある。

2017年のこと。私は倉本聰の作・脚本による『やすらぎの郷(さと)』(テレビ朝日系)という帯ドラマを見ていた。昭和の時代、テレビで活躍した俳優、歌手、脚本家などが入居する老人ホームの話である。ある時、入居者の1人が亡くなり、ホーム内で葬儀が行われた。

「葬儀は無宗教で行われた」というナレーションが流れ、弔問客(入居者)は、遺影の前で手を合わせ、花を手向けていた。そこには読経もお香もろうそくもなく、僧侶も神職もいない。私は正直に言って「こんなのは葬式ではない。倉本聰は、こんな葬式を望んでいるのだろうか」と大いに疑問に感じた。「私が死んだら、ちゃんとお坊さんを呼んでほしいな」とも。

では、以下に『日本の歪み』の抜粋を貼っておく。皆さんは、どう思われるだろうか。

献花に訪れた人々の「無味乾燥」な長蛇の列
東浩紀
 安倍晋三元首相の国葬の日、僕は九段下に一般向けの献花に訪れる人を見に行きました。献花台は靖国通りの武道館側の歩道に設けられていて、いちおう葬儀会場である日本武道館のほうに向いてはいたものの、かなり遠い。安倍さんの写真はあるものの、そもそも一日限りの金属の仮組みでしかない。

そこに花を手向けることでは心は満たされないのでしょう。人々がそのあとどうしたかと言えば、かなりの人が道路を渡って向かい側にある靖国神社に行っていたのが印象的でした。安倍さんの死を悼みに来た人が靖国神社に参拝する。それが意味するのは、実質的に安倍さんは靖国神社に祀られてしまったということです。

宗教色をなくした追悼なんてできない
ちょうどその前にイギリスのエリザベス女王が亡くなり、ウェストミンスター寺院で葬儀が行われました。国家元首の葬儀が宗教性を帯びるのは当然のことです。しかし日本ではそれができない。なぜできないかといえば、要は敗戦したからです。

戦後にGHQの草案で作られた憲法では、国家が宗教的活動をすること、公金を供することを禁じている。だから体育館で葬儀をやるしかない。でもそれには根本的に無理がある。だから人々は近くの神社に行く。宗教色をなくした追悼なんてできないんです。やっても機能しないんですよ。

炎天下に喪服を着てわざわざ九段下まで来て献花に並ぶ人たちは、それなりの強い気持ちをもって追悼に来ている。そういう一般弔問客をどう遇するかも、本来は国が考えなければいけないことです。しかし実際にはありふれた巨大イベントへ誘導するかのように、無味乾燥な長蛇の列に並ばせただけだった。

日本は死を悼む気持ちの受け皿すら作れないのだなと、その光景に日本の衰退を感じました。場当たり的な対応を繰り返し、なんとなくなんとかなっているように見えても、ベースのところで人心の荒廃が進んでいるように思います。

心の着地点が失われてしまった
茂木健一郎
 僕は国葬の日、武道館で参列していましたが、儀式の形式を宗教的に中立的なものにすることで、何かが形骸化しているように感じました。そしてそれは、現代日本そのものの姿のように思いました。

私は科学者であり、現在得られている知見に照らして、知的な意味で全面的に肯定できる既存の宗教はないと感じています。一方で、生活人としての、あるいは関係性の中での自然な心の動きはその限りではない。宗教的なものを排除することで、心の着地点が失われてしまっている。

前に手塚治虫のトキワ荘マンガミュージアムに行ったときも、なんか落ち着かない感じがありました。「手塚治虫神社」があればよかったのかな(笑)。本来は心の落ち着かせ方の文化は土地ごとにそれぞれにあったはずですが、日本の場合にはそれが混乱しているのかもしれないですね。

東浩紀 夏に盆踊りが小学校の校庭で行われたりしますが、あれも本当は神社とか森でやるべきものですよね。どういう理屈で校庭になったのかわかりませんが、神社でやると宗教行事で、校庭でやると自治体の無宗教行事になるんでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良公園のK―POPライブ、規模縮小・会場変更、「経費節減図る」

2025年01月24日 | 日々是雑感
以前、当ブログでも紹介した「奈良のK―POP」問題、毎日新聞奈良版(2025.1.23付)に〈K-POPライブ 規模縮小へ 会場変更も 知事「経費節減図る」〉と紹介された。引用すると、
※トップ写真は、奈良公園で2006.6.27 撮影

県などが10月に予定している韓国・忠清南道との日韓交流行事について山下真知事は22日、規模縮小のため会場変更も辞さない考えを示した。「奈良公園に限らず屋内も含め、経費節減にはどこがふさわしいか検討している」と記者会見で述べた。

屋内に変えれば、忠清南道から「アーティストを派遣できないと言われる可能性がある」と懸念も示したが、県議会で縮小を求める声が根強いため、検討はやむを得ないとの考えを示した。

交流行事を巡っては県が12月、奈良公園で入場無料のK―POPライブをする案を表明したが、県の負担総額が2億7000万円以上と巨額になると見込まれることから、県議会が内容を疑問視。

2024年度12月議会で一部の議員が補正予算案に反対したほか、賛成した議員も有料化や屋内開催を通じて費用節減を求める申し入れ書を山下知事に手渡していた。

これを受け、山下知事は規模を縮小する意向を示していたが、22日には具体的な方法にも初めて触れた。忠清南道側が来県し屋内外の場所を視察したことや、資金集めのためクラウドファンディングを検討していることを明かした。

忠清南道側は当初、「アーティスト派遣には1万人規模の会場を」と要望していたが、会場を屋内に変えれば収容人数が大幅に割り込むことになる。山下知事は「予算が通らなければそもそもイベントは開催できない。(規模縮小でアーティストが来られなくなってもよいかを)どう判断するかは県議に最終決定権がある」と述べた。【川畑岳志】


9,000人対象のコンサートに2.7億円、つまり1人3万円(=2.7億円÷9,000人)もかける、というイベントに修正が入った、ということで、県民としてはひと安心だ。これからの県議会などでの行方をシッカリと見守りたい。

※1/25追記 毎日新聞奈良版(1/25付)に、〈3000万円への圧縮案提示 K-POPライブ 県負担額、屋内前提に〉という記事が出ていた。当初の「2.7億円」を「3000万円」に圧縮するという案で、知事は一部の県会議員に提示したという。全文を紹介すると、

県は24日、10月に予定する韓国・忠清南道との日韓交流行事について、当初総額2億7000万以上とした県負担額を3000万円まで圧縮する案を示した。屋外ではなく屋内での開催が前提となる。予算が大きすぎると批判する県議に譲歩する姿勢を見せた。

県は2024年12月、奈良公園で入場無料のK―POPライブをする案を表明したが、県の負担総額が2億7000万円以上と見込まれることから、県議会が費用対効果を疑問視。2024年度12月議会で一部の議員が補正予算案に反対した他、賛成した議員も有料化や屋内開催を通じて費用節減を求める申し入れ書を山下知事に手渡していた。

山下真知事は24日、「日本維新の会」や「自由民主党・無所属の会」などの一部議員に対して、予算の削減案を提示。超人気歌手は呼べなくなるが、日韓両方の歌手を呼ぶ形にする。各会派で議論するよう求めたという。【川畑岳志】





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良県のK-POPへの2.7億円支出問題(続報)

2025年01月10日 | 日々是雑感
以前にも当ブログで紹介したK-POP問題、毎日新聞奈良版「奈良の風に吹かれて」(2025.1.9 付)に、西山厚さんがご意見を書かれていた。その部分を引用すると、
※トップ写真は、奈良公園で撮影(2024.12.3)

「奈良ちとせ祝(ほ)ぐ寿(ほ)く祭り」を、奈良県は、お金がかかるという理由で一方的に廃止してしまった。ところが、それをはるかに上回るお金を投入して、今年の秋に、奈良公園で、1日だけのK-POPの無料コンサートをおこなうそうだ。私たちはどこへ向かっているのだろう。





なお山下知事はご自身のX(旧ツイッター)に〈奈良県は以前にシルクロード博というものを開催しており、その収益金を基金に積み立てています。この基金は国際交流等の目的にしか使えないため、これを取り崩して本イベントの資金にします。なので、財源には税金ではない事業収益金が主として当てられます〉。お書きである。

これについて「ミヤネ屋」(2024.12.13 放送)で元官僚の岸博幸さんは、〈知事は「この基金は、国際交流等の目的にしか使えない」とおっしゃるが、それは条例を変えれば用途変更できる〉と一蹴されていた。しかもシルク博は、もともと多額の「税金」を投入して運営されたものだ。

なお1/9付の朝日新聞奈良版には〈K-POP経費減を 知事、韓国側に協力要請〉という見出しの記事が出ていた。同記事のサイトから全文を引用すると、

県が友好提携を結ぶ韓国・忠清南道と今年10月に企画している文化交流イベントで、山下真知事は7日に忠清南道の金泰欽(キムテフム)知事とオンラインで会談し、経費節減の協力を求めたことを明らかにした。8日の定例会見で報道陣の質問に答えた。

イベントをめぐっては、県が奈良公園でK―POPアーティストが出演する9千人規模のコンサートを企画していることについて、県議会で意見が割れていた。会場設営費など約2億7千万円の事業費の一部を盛り込んだ補正予算案は昨年12月の定例議会で可決されたが、最大会派「自民党・無所属の会」の賛否が割れたうえ、賛成した県議・会派からも山下知事に対して事業費削減を求める申入書が手渡されていた。

山下知事は申し入れを受け、金知事とオンライン会談の場を設けた。「県の厳しい立場を伝え、経費節減の協力をお願い」したうえで、「申入書の内容を実現していくために、双方知恵を出し合って協力していく」ことで合意。金知事は県の意向に理解を示し、「できる協力はしていきたい」と答えたという。


「できる協力はしていきたい」という頼りない回答で、果たして、先方の譲歩が、引き出せるのか、はなはだ疑問である。皆さんは、ドー思いますか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2025初春文楽公演「仮名手本忠臣蔵」を見に行ってきました!

2025年01月04日 | 日々是雑感
昨日(2025.1.3)、国立文楽劇場へ出かけた。この日が新年の初日だった。目当ては、第2部の「仮名手本忠臣蔵 8段目、9段目」だった。終始緊張感の漂う9段目には、深い感銘を受けた。
※写真は1/3に撮影。チラシは、国立文楽劇場のサイトから拝借した



私は昨年11/19(火)~20(水)、放送大学大阪校の面接授業〈「文楽」を鑑賞する〉を受けた。講師は古典芸能案内人の天野光さんだった。彼女のお祖父さまは、文楽の人形遣いだったそうだ(二世 吉田玉市さん)。

初日は大阪教育大学で終日座学、2日目は午前9時30分~10時30分までの授業(「旧食堂」での座学)のあと、午前11時から午後3時30分頃まで、「仮名手本忠臣蔵 大序(初段)~4段目」を鑑賞した。特に4段目が素晴らしく、「年明けの8段目と9段目は、必ず初日に見に行こう」と心に決めた(当時は多忙につき、5段目~7段目は諦めていた)。


忠臣蔵にちなみ、揮毫は赤穂大石神社の宮司さん

私は歌舞伎も文楽も好きだが、周囲にはあまりファンがいない(御所市のF先輩くらい)。「みんな食わず嫌いなのだろうな、もったいない」と思っていた。2012年には、当時大阪市長だった橋下徹氏が、文楽への助成金の25%削減を言い出したこともあった。

ちょうど今回の授業に宿題(課題・レポート)が出て、その時のテーマの1つ(10個ほどの「テーマ」から1つを選ぶ)が、「文楽にもっと親しんでもらうには」だった。幸い答案の写し(Wordデータ)を残していたので、以下に貼っておく。今年の4月には「義経千本桜」が通し(初段~4段目)で上演される。皆さん、もっと文楽に親しみましょう!



課題7.文楽にもっと親しんでもらうには(「文楽」を鑑賞する 天野光 先生)
今回の授業に出席した受講生に対して初日、天野先生が「劇場で文楽を見たことがない人は?」と聞かれたとき、たくさんの人が挙手したことには、心底驚いた。「年配者が多いのに、実際に文楽を見たことがない人がこんなにいるなんて、信じられない」という気持ちだった。「これは、もったいない」とも思った。

私は、奈良市に移り住んで46年になる(生まれは和歌山県で、現在71歳)。10年ほど前、地元の奈良市でボランティア団体(「奈良まほろばソムリエの会」という歴史好きが集まるNPO)を立ち上げ、奈良の歴史や文化を伝える活動(観光ガイド、講演、執筆)をしているので、奈良県内に「文楽の舞台」がたくさんあることに驚いているし、誇らしくも思っている。



「義経千本桜」「壺坂霊験記」「冥途の飛脚」「妹背山婦女庭訓」などなど。吉野町の妹山と背山はよく車で通りかかるが、舞台のセットにソックリな(舞台がマネしているのであるが)吉野川畔の風景には、いつもうっとりと見とれている。

しかし今日、たまたま一緒になった当会の女性会員に「文楽、見に行ったことはある?」と質問すると、やはり「ないです」という答えだった。奈良市から、国立文楽劇場のある日本橋へは、近鉄電車で1本なのに、これは残念なことである。



NHKのEテレなどでは、時々文楽の演目を放送しているが、文楽はテレビで見ると、不思議と面白くない。国立文楽劇場の華やいだ雰囲気の中で、少しよそ行きの服などを着こんで、「お昼は何を食べようか」などと考えながら席に着くワクワク感は、テレビでは決して味わえないものだ。太夫や三味線の臨場感も、たまらない。

今は字幕が付くし、私は必ずイヤホンガイドを装着し、またプログラムを開きながら文楽を見る。決して「お勉強」ではないし、しかしいわゆる「推し活」でもない。「古典芸能を味わう」という、やや上品な(?)趣味として、文楽を鑑賞しているのである。

この文楽、もっと多くの人に見てもらえないだろうか、といつも思う。私は「初春(正月)公演」をもっとPRし、「お正月は文楽を見よう!」と呼びかけるのが良いと思う。たぶん一度劇場に足を運べば、文楽ファンになってくれる人は数多いことだろう。長寿社会の中で、元気なお年寄りたちに見てもらい、口コミでファンを増やす、という循環が理想的だ。

ご夫婦で文楽ファンという竹内まりやは69歳、山下達郎は71歳だ。皆さん、もっと文楽を見に行きましょう!




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2025年 私のモットーは、「利他」です!

2025年01月01日 | 日々是雑感
皆さん、新年あけましておめでとうございます。私にとって昨年は、とても忙しい年でした。昨年のお正月は、奈良の食文化研究会さんの『奈良にうまいものあり!』(なららbooks)の校正・校閲作業に追われていました。その作業には8ヵ月を要しましたが、おかげさまで4月18日には無事、発刊することができました。
※トップ写真は、奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」の1シーン(年賀状で使用)

昨年はコロナ禍がひと段落したこともあって、奈良まほろばソムリエの会の活動が次々に復活しました。講演やガイドのご依頼もたくさんいただき、春と秋のシーズンには、これらに振り回されました。

このほか、「飛鳥・藤原まるごと博物館」検定テキストの要約を始めたこともあって、7~12月はこの作業に没頭していました。約500ページの公式テキストをA4用紙で約100ページにまとめる大作業で、できたところから当ブログにアップしていきましたが、すべて完成したのは試験の1週間前、というあわただしさでした(完成品のPDFは、こちら)。これからも毎年手を入れて、ブラッシュアップしてまいります。


この画像は、がくげいイラスト素材集から拝借

2024年の末、「2025年の目標は、何にしようかなぁ」と考えているとき、たまたま田中利典師の「神と仏のオープンカレッジ」(FMいかる)の過去の音源(2024.3.18放送「今夜の一言」シリーズの初回)を聞きました。そこで利典師は〈世の中で一番大事なことは、「自分のために生きる」のではなく、「誰か(他人)のために生きる」ということです〉とおっしゃっていました。つまり「利他」ということで、利典師のお名前も「利他」の「利」に由来する、ということでした。

「おお、これだ。2025年は利他をモットーにしよう」と決めました。まあ飛鳥・藤原検定の要点整理も、『奈良にうまいものあり!』の校閲・校正も、利他の精神でやっていましたので、これを続けて行くことは、さほど難しいことではありません。

ということで、今年は何事にも「利他」の精神で、取り組んでまいります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする