tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

垂涎!奈良の名物料理

2006年07月30日 | 日々是雑感
7/27(木)、ならまちセンター(奈良市東寺林町)で「第9回 奈良県調理技能向上展/選抜料理コンクール」が開かれた。

主催は県調理技能士会で、料理人の調理技能の向上と、美味しい料理で観光客を誘致し観光活性化につなげるため開催されているものだ。例年は秋の開催だったが、今年は初めて7月に開かれた。

ずらりと展示された料理(サンプルとメニュー)は
1.料理コンクールの部…会席料理および八寸料理 40人が出品
2.奈良のうまいものの部…奈良特産の食材を使用 12人が出品

ガラス器や氷を使い、見た目にも涼しげな料理の数々がずらりと並んでいた。写真は「うまいものの部」に出品された「旅亭 十三屋(じゅうそうや)」(生駒郡三郷町信貴山)の季節料理。大和肉鶏(にくどり)や大和芋などを使い、とても美味しそうだった。

奈良は食材に恵まれていないとカン違いされがちだが、吉野川(紀ノ川)の鮎や三輪そうめん、大和牛(うし)、宇陀ゴボウ、大和太(ふと)ネギなど、質の高いものがたくさんある。こういう機会を通じて、「奈良にうまいものあり」をもっとPRしてほしいものだ。
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ホッケースクール

2006年07月26日 | 日々是雑感
7/23(日)、地元の社会人(南都銀行)チームが県下の中学生など約30名を対象に、初の「ホッケースクール」を開いた。

まだまだ(陸上)ホッケー人口は少なく、クラブ活動に取り入れる学校はあっても、経験豊かな指導者にめぐり会えないのが実情だ。

ここの女子ホッケーチームは、昨年は全日本選手権大会で優勝し、日本一に輝いた強豪だ。アテネ五輪にも代表選手を輩出した。日本のトッププレーヤーの指導を受けられるのだから、中学生たちにとっては貴重な機会である。

ランニングやパスの練習に始まり、シュートの打ち込みや実戦さながらのミニゲームまであり、90分のスクールはあっという間に過ぎた。

同行健保組合所有の人工芝グラウンドが使えるとあって、練習熱心な生徒たちは、ぱらつく雨をものともせず、スクール修了後の正午から夕方まで居残って、熱心に練習していた。頑張れ、奈良県勢!
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法華寺おりおり(14)鬼百合

2006年07月25日 | 写真
鬼百合(オニユリ)

原産地は中国。日本の山野に自生し、地下茎は白色。茎は高さ約1メートルになり、黒紫色の斑点がある。茎や葉の付け根にムカゴ(珠芽)ができる。夏には、黒紫色の斑点をもつ橙色の花を開く。地下茎は食用にする。天蓋(テンガイ)百合ともいう…。

この花は大きい百合だから鬼百合、または花の色・形が赤鬼を連想させるから鬼百合、と呼ばれるそうだ。パステル調の淡い花が多い法華寺・華楽園で、突然この花が目に飛び込んでくると、やはり驚く。

もともとは食用として中国から持ち込まれたそうで、今でもユリ根(地下茎)は茶碗蒸しやおせち料理には欠かせない食材である。

この日(7/22)は梅雨の晴れ間で、時々強い日光が差していたが、これからの盛夏にピッタリ合う、勢いのある花だ。そういえば、ニンニクもニラもネギ玉ネギも、みんなユリ科(ネギ属)の植物だったっけ。
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極楽とんぼ

2006年07月23日 | 日々是雑感
「極楽のイメージは」と聞かれて思い浮かぶのは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のこんなシーンだ。

「御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊(しべ)からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります」

後年、「極楽にいるのは釈迦ではなく、阿弥陀仏だ」と教えられた。仏教的にはそれが正しいのだろうが、この小説では、やはりお釈迦さまの方がピッタリくる。

梅雨の晴れ間となった昨日(7/22)、京都府精華町の「花空間 けいはんな」(旧・京都フラワーセンター)へ行ってきた。「観覧温室」の熱帯植物も見事だったが、今の時期は「水生花園」だ。色とりどりのハスが池一杯に咲いていた。とんぼやチョウが舞い、まるで極楽の情景だ。蜘蛛の糸まで、ちゃんとあった。

色鮮やかな赤とんぼが飛んできたので、しばらく後を追ってみた。チョウやハナムグリが蜜を吸うために花から花へ渡るのに比べ、とんぼはとにかく長いものの尖端に止まり、ボーッとしている(ように見える)。獲物になる虫を大きな目で探しているのだろうが、見た目は極楽とんぼの形容そのものだ。

それにしても、見事な蓮池だった。池の一面に蓮が咲き、京の風にゆらゆら揺れている。ふと拉致被害者の「蓮池薫」さんや、お兄さんの「蓮池透」さんを思い出し、今更ながら、良いお名前を付けられたものだと感心した。

帰り際、ギラギラ照りつける太陽の下、長靴をはいて池の中に入り、枯れかけたスイレンの葉を1本1本抜いている係のおじさんを目にした。こんなご苦労があってこそ美しい植物園が保たれるのだな、と感謝の気持ちで一杯になった。
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鐘が鳴るなり東大寺

2006年07月22日 | 日々是雑感
正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」は、あまりにも有名な俳句だ。平凡すぎて、それまで顧みられることのなかった「柿」を句に詠み込み、当時の俳壇に新鮮な衝撃を与えたことでも知られる。
※当記事の写真は、すべて米田弘(こめだ・ひろむ)さん(御所市三室)が育てた御所柿(2014.11.9撮影)

ところがこの句は法隆寺(生駒郡斑鳩町)ではなく、東大寺(奈良市雑司町)の鐘を詠んだものだという説がある。奈良大学の浅田隆教授(近代日本文学)が講演会で話されていたそうだ。子規が法隆寺に出かける前日(明治28年10月26日)、東大寺近くの旅館で聞いた鐘の音が印象に残り、それが法隆寺の風景と結びついて詠まれたものだという。「鐘が鳴るなり東大寺」より「鐘が鳴るなり法隆寺」の方が、響きも良い。

明治28年春、新聞記者として日清戦争に従軍した子規は、同年秋に奈良への3泊ほどの旅をする。これが子規最後の旅行となるのだが、旅費の10円は夏目漱石に借りて工面した。子規は、東大寺・転害門(てがいもん)近くの「対山楼(たいざんろう)」に泊まった。『ホトトギス』(明治34年4月25日)に掲載された随筆「くだもの」中の「御所柿を食ひし事」によれば、ここで子規は夕食後、女中さんに柿を所望した。御所柿(ごしょがき)は、名前の通り奈良県御所(ごせ)市特産の甘柿である。「羊羹のように甘い」と評される。



彼女は「直径1尺5寸も有りそうな錦手の大丼鉢に山の如く柿を盛て来た」「柿をむいでいる女のややうつむいている顔にほれぼれと見とれてゐた。此女は十六七位で、色は雪の如く白くて、目鼻立ちまで申分のない様に出来ておる。生れは何処かと聞くと、月か瀬の者だといふので、余は梅の精霊でもあるまいかと思ふた」

女性に関するエピソードの少ない子規にとっては、珍しいことだ。2年後に子規は「柿に思ふ奈良の旅籠の下女の顔」という句まで詠んでいる。



さて「柿も旨い、場所もいい。余はうつとりとしているとボーンという釣鐘の音が1つ聞こえてきた」、これは東大寺の初夜(午後7時)の鐘だという。「女は室の外の板間に出て、其処の障子を明けてみせた。成程東大寺は自分の頭の上に当つてある位である」「女は更に向こうを指して、大仏のお堂の後ろのあそこの処へ来て夜鹿が鳴きますからよく聞こえます。という事であつた」

子規にとって奈良は、旨い柿、美しい女性、うっとりするような風情がミックスした「癒し空間」だったのだ。

(2014.11.18 追記)「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句は、夏目漱石の俳句「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」にヒントを得て作られたのだそうだ。俳人で文学者の坪内稔典氏が書いている。《子規の代表句は,漱石との共同によって成立した。それは愚陀仏庵(漱石の松山での住居)における二人の友情の結晶だった》《個人のオリジナリティをもっぱら重んじるならば,子規の句は類想句,あるいは剽窃に近い模倣作ということになるだろう。だが,単に個人が作るのではなく,仲間などの他者の力をも加えて作品を作る,それが俳句の創造の現場だとすれば,子規のこの場合の作り方はいかにも俳句にふさわしいということになる》(坪内稔典著『柿喰ふ子規の俳句作法』岩波書店)。
コメント (4)
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