澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

マーティン・デニーのエキゾティック・サウンズ

2008年07月31日 13時08分47秒 | 音楽・映画

マーティン・デニー(1911.4.10※-2005.4.2)は、米国の楽団リーダー、「エキゾティック・サウンズ」の創始者。       (※1921年生まれという記録もある。)


夏になると、必ずどこかで流れてくるのが、このマーティン・デニーの音楽。小編成のバンドが、こんなに多彩な音を出すのかと驚くほど、様々な楽器をもちいて、エキゾティック・サウンズを彩っている。
つい最近まで、ハワイのクラブで演奏していたと伝えられているので、活躍期間は優に60年を超えたわけだ。

彼の最大のヒット曲は「静かな村」(Quite Village)。「ビルボード誌」アルバム・チャートには、次のアルバムがチャートインしている。

1 "Exotica"   最高位  1位( 1959.5.4) 61週チャートイン

2 "Quiet Village"  最高位 8位(1959.9.14)  48週チャートイン

3"A taste of honey"  最高位 6位(1962.10.6)   21週チャートイン


彼の音楽は、欧米の白人がイメージする「Mistic East」を音で表現したものだと考えられる。どこの国だか分からないが、遙か離れた東洋の神秘を感じさせる土地を音楽化した。視覚的には、ディズニーランドにある「チキ・ルーム」がぴったりと当てはまるだろう。

1963年坂本九の「スキヤキ」(上を向いて歩こう)が「ビルボード誌」で1位になると、マーティン・デニーは早速この音楽を彼のアルバムに入れた。日本の琴でメロディを奏で、バックはロックのリズムというユニークな演奏だった。

また、1970年代末、「イエローマジック・オーケストラ」(YMO)が採り上げた「花火」(Fire Cracker)は、マーティン・デニーの作品であった。YMOのアルバム「東風」(Tongpoo)は実によく売れたので、マーティン・デニーを知らなくても、彼の作品を知っている人は多いに違いない。


実は、1970年前半、ホテルのラウンジで流されるような音楽は、すでに時代遅れになっていた。音響技術の発達に伴い、生演奏に代わって録音された音楽をナマと遜色のない音で流せるようになったためである。


だが、時代はめぐり、90年代になると、「ラウンジ・ミュージック」「モンド・ミュージック」などの名称で、これらの音楽が再評価されるようになった。これは古いファンにとっても、喜ばしいことだろう。


この暑い夏のまっただ中で聴くマーティン・デニー、これは結構いけます。聴きながらビールでも飲むと、気分はトロピカル。ハワイか宮古島にいる気分です。
秋風が立ち、秋の虫がさえずり始める前に、ぜひお試しください。




《ウィキペディア》

http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Denny