
《猿渡瞳さん ネットより》
ネットで アフラックの「生きる」ストーリーの遭遇した。
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お母さんへのインタビューで、ストーリーが進む。お母さんの語る13年間の瞳ちゃんとの日々、癌との闘いにこころ動かされ、涙があふれた。ディスプレーが見えなくなった。瞳ちゃんとのかけがえのない18ページの貴い日々を静かに読み進んだ。各ページにデザインされたカットが辛かった。
『猿渡瞳ちゃん:11歳で発病、検査の結果右大腿骨骨肉腫、肺への転移、余命半年の告知、「ママががんじゃなくてほんとうによかった」、辛さに立ち向かう明るい病院での生活、右の大腿骨を全部人工関節に帰る手術、全力で過ごした中学校生活、弁論大会「命をみつめて」、その2ヶ月後に旅立つ。』
「命を見つめて」というタイトルでの弁論大会での肉声、力強いこころからの訴えに聞き入った。・・・・【 一番の幸せは身近にある。それは生きていると言うことだ。命の尊さ、一日一日の大切さを語り、命さえあればどんなこともできると訴える。病気と闘っている人たちの姿を知って欲しいと。そして、病気をしたおかげで一番大切なことを知ることができ、これからも病気に感謝して精一杯生きていきたい】
自分の病気との闘いを思い出し、涙があふれた。自分が病気になって初めて知ったことを、13歳の少女がこころから訴えていた。
実は、これからの生き方が今の自分のすべてなのに、喉元を過ぎるとついついその大切さを忘れてしまう。情けない。改めて、生きていることを感謝して、生きているからできることをやりたいと思っている。
○その後、この猿渡瞳さんの作文「命の大切さ」は、彼女の死後、全国作文コンクールの優秀賞を受けたことを知った。
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(2005/01/12)西日本新聞朝刊掲載
「命を見つめて」(全文) 田隈中2年 猿渡瞳さん
みなさん、みなさんは本当の幸せって何だと思いますか。実は、幸せが私たちの一番身近にあることを病気になったおかげで知ることができました。それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく「今、生きている」ということなんです。
私は小学六年生の時に骨肉腫という骨のガンが発見され、約一年半に及ぶ闘病生活を送りました。この時医者に、病気に負ければ命がないと言われ、右足も太ももから切断しなければならないと厳しい宣告を受けました。初めは、とてもショックでしたが、必ず勝ってみせると決意し希望だけを胸に真っ向から病気と闘ってきました。その結果、病気に打ち勝ち右足も手術はしましたが残すことができたのです。
しかし、この闘病生活の間に一緒に病気と闘ってきた十五人の大切な仲間が次から次に亡くなっていきました。小さな赤ちゃんから、おじちゃんおばちゃんまで年齢も病気もさまざまです。厳しい治療とあらゆる検査の連続で心も体もボロボロになりながら、私たちは生き続けるために必死に闘ってきました。
しかし、あまりにも現実は厳しく、みんな一瞬にして亡くなっていかれ、生き続けることがこれほど困難で、これほど偉大なものかということを思い知らされました。みんないつの日か、元気になっている自分を思い描きながら、どんなに苦しくても目標に向かって明るく元気にがんばっていました。
それなのに生き続けることができなくて、どれほど悔しかったことでしょう。私がはっきり感じたのは、病気と闘っている人たちが誰よりも一番輝いていたということです。そして健康な体で学校に通ったり、家族や友達とあたり前のように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことかということです。
たとえ、どんなに困難な壁にぶつかって悩んだり、苦しんだりしたとしても命さえあれば必ず前に進んで行けるんです。生きたくても生きられなかったたくさんの仲間が命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていくことが私の使命だと思っています。
今の世の中、人と人が殺し合う戦争や、平気で人の命を奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。一体どれだけの人がそれらのニュースに対して真剣に向き合っているのでしょうか。
私の大好きな詩人の言葉の中に「今の社会のほとんどの問題で悪に対して『自分には関係ない』と言う人が多くなっている。自分の身にふりかからない限り見て見ぬふりをする。それが実は、悪を応援することになる。私には関係ないというのは楽かもしれないが、一番人間をダメにさせていく。自分の人間らしさが削られどんどん消えていってしまう。それを自覚しないと悪を平気で許す無気力な人間になってしまう」と書いてありました。
本当にその通りだと思います。どんなに小さな悪に対しても、決して許してはいけないのです。そこから悪がエスカレートしていくのです。今の現実がそれです。命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。
みなさん、私たち人間はいつどうなるかなんて誰にも分からないんです。だからこそ、一日一日がとても大切なんです。病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを知ることができました。今では心から病気に感謝しています。私は自分の使命を果たすため、亡くなったみんなの分まで精いっぱい生きていきます。みなさんも、今生きていることに感謝して悔いのない人生を送ってください。
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ネットで アフラックの「生きる」ストーリーの遭遇した。
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お母さんへのインタビューで、ストーリーが進む。お母さんの語る13年間の瞳ちゃんとの日々、癌との闘いにこころ動かされ、涙があふれた。ディスプレーが見えなくなった。瞳ちゃんとのかけがえのない18ページの貴い日々を静かに読み進んだ。各ページにデザインされたカットが辛かった。
『猿渡瞳ちゃん:11歳で発病、検査の結果右大腿骨骨肉腫、肺への転移、余命半年の告知、「ママががんじゃなくてほんとうによかった」、辛さに立ち向かう明るい病院での生活、右の大腿骨を全部人工関節に帰る手術、全力で過ごした中学校生活、弁論大会「命をみつめて」、その2ヶ月後に旅立つ。』
「命を見つめて」というタイトルでの弁論大会での肉声、力強いこころからの訴えに聞き入った。・・・・【 一番の幸せは身近にある。それは生きていると言うことだ。命の尊さ、一日一日の大切さを語り、命さえあればどんなこともできると訴える。病気と闘っている人たちの姿を知って欲しいと。そして、病気をしたおかげで一番大切なことを知ることができ、これからも病気に感謝して精一杯生きていきたい】
自分の病気との闘いを思い出し、涙があふれた。自分が病気になって初めて知ったことを、13歳の少女がこころから訴えていた。
実は、これからの生き方が今の自分のすべてなのに、喉元を過ぎるとついついその大切さを忘れてしまう。情けない。改めて、生きていることを感謝して、生きているからできることをやりたいと思っている。
○その後、この猿渡瞳さんの作文「命の大切さ」は、彼女の死後、全国作文コンクールの優秀賞を受けたことを知った。
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(2005/01/12)西日本新聞朝刊掲載
「命を見つめて」(全文) 田隈中2年 猿渡瞳さん
みなさん、みなさんは本当の幸せって何だと思いますか。実は、幸せが私たちの一番身近にあることを病気になったおかげで知ることができました。それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく「今、生きている」ということなんです。
私は小学六年生の時に骨肉腫という骨のガンが発見され、約一年半に及ぶ闘病生活を送りました。この時医者に、病気に負ければ命がないと言われ、右足も太ももから切断しなければならないと厳しい宣告を受けました。初めは、とてもショックでしたが、必ず勝ってみせると決意し希望だけを胸に真っ向から病気と闘ってきました。その結果、病気に打ち勝ち右足も手術はしましたが残すことができたのです。
しかし、この闘病生活の間に一緒に病気と闘ってきた十五人の大切な仲間が次から次に亡くなっていきました。小さな赤ちゃんから、おじちゃんおばちゃんまで年齢も病気もさまざまです。厳しい治療とあらゆる検査の連続で心も体もボロボロになりながら、私たちは生き続けるために必死に闘ってきました。
しかし、あまりにも現実は厳しく、みんな一瞬にして亡くなっていかれ、生き続けることがこれほど困難で、これほど偉大なものかということを思い知らされました。みんないつの日か、元気になっている自分を思い描きながら、どんなに苦しくても目標に向かって明るく元気にがんばっていました。
それなのに生き続けることができなくて、どれほど悔しかったことでしょう。私がはっきり感じたのは、病気と闘っている人たちが誰よりも一番輝いていたということです。そして健康な体で学校に通ったり、家族や友達とあたり前のように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことかということです。
たとえ、どんなに困難な壁にぶつかって悩んだり、苦しんだりしたとしても命さえあれば必ず前に進んで行けるんです。生きたくても生きられなかったたくさんの仲間が命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていくことが私の使命だと思っています。
今の世の中、人と人が殺し合う戦争や、平気で人の命を奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。一体どれだけの人がそれらのニュースに対して真剣に向き合っているのでしょうか。
私の大好きな詩人の言葉の中に「今の社会のほとんどの問題で悪に対して『自分には関係ない』と言う人が多くなっている。自分の身にふりかからない限り見て見ぬふりをする。それが実は、悪を応援することになる。私には関係ないというのは楽かもしれないが、一番人間をダメにさせていく。自分の人間らしさが削られどんどん消えていってしまう。それを自覚しないと悪を平気で許す無気力な人間になってしまう」と書いてありました。
本当にその通りだと思います。どんなに小さな悪に対しても、決して許してはいけないのです。そこから悪がエスカレートしていくのです。今の現実がそれです。命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。
みなさん、私たち人間はいつどうなるかなんて誰にも分からないんです。だからこそ、一日一日がとても大切なんです。病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを知ることができました。今では心から病気に感謝しています。私は自分の使命を果たすため、亡くなったみんなの分まで精いっぱい生きていきます。みなさんも、今生きていることに感謝して悔いのない人生を送ってください。
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日々生きてゆく「勇気」をもらえる、本当にすばらしい作文だと思います。健康に感謝して、毎日毎日、生きてゆきたい。
ネット情報は出典をハッキリさせれば問題ないでしょう。作文は西日本新聞HPから同紙掲載のものです。
瞳ちゃんが亡くなったのは、一昨年9月です。命を粗末にする風潮に、正面から立ち向かった訴えに感動し込み上げるものがありました。