エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

陶芸を鑑賞する

2007-03-09 | 文芸
               《 自作絵皿  磐梯大皿 》
 昨日のブログで宗像窯について書いた。久しぶりに本棚から焼き物関連の本を引っ張り出し、かつて興味を持った陶芸について思いを巡らせた。
もっぱら食文化との関連で陶磁器を眺めてきた。何枚かある自作の磐梯の絵皿は、刺身を盛る時には必ず使っている。いつも、ご馳走をよけながら、絵皿の風景を眺めながらの食卓は豊かに感じられる。

 以下に、かつての関わるエッセイをまとめた。

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河井寛次郎の豊かな作品  
益子を訪れた折りに、浜田庄司やバーナードリーチ、柳宗悦、河井寛次郎等の名を知った。
 数年前から陶芸に興味を持ち、いつか京都東山五条の河井寛次郎記念館を訪ねたいと思っていたが、今回県立美術館で彼の作品を見る機会に恵まれた。河井は、無名の職人たちが作ってきた雑器の持つ質実で素朴な美に大きく目を開かれた民芸運動の実践者であった。
 よく焼き物の価値は、形が美しいこと、釉薬が美しいことそして使いやすいことと言われる。柳宗悦は「美は用の現れ。用と美と結ばれるものが工芸」と述べ、雑器に虚心が生み出す美しさを見いだした。日用雑器は、今ほとんどが機械製だが、本来は手仕事で作られ伝えられた良さなのだと思う。彼の作品を見ながら、展覧会の副題「祈りと悦びの仕事」の意味や彼の心豊かな生活をかみしめた。そして、自分の趣味で自作した食器を使い、祖先が営々と作った地方の料理を食べることの贅沢さをあらためて考えた。(1994.7)
  
       
本郷せと市に伝統工芸を思う
八月一日、会津本郷「せと市」へ行った。午前四時過ぎから、さわやかな雨上がりのメインストリートはもうかなりの人出だ。十七ある本郷焼き窯元の店を含む陶器市は、にぎやかな中にも歴史と伝統に裏ずけられた趣きがあった。人混みを避け、町の細い路地に散在する窯元を巡りながら、焼き物の楽しさを味わうことができた。特色ある各窯元の焼き物に技術を越えた感性を探しながら、日々の生活と関わる伝統的工芸技術の意義を思った。
 今、人間や自然との調和を忘れかけた科学技術がよく言われる。大量消費社会の大量生産を支える先端技術は、これらの失われ易い伝統工芸的技術との共存が必要と考える。それが豊かな生活につながる文化だからだ。
 ある八十を越えた老陶芸家は「伝統とは生命の継承である。古いものの繰り返しではない。伝統は日々新しい闘いを続け、日々成長するものである」と言った。本郷焼きの新しい伝統を創造して行って欲しいと思う。 (1994.8)       

河井寛次郎記念館を訪ねる。
 先日、念願が叶って京都五条に河合寛次郎記念館を訪ねることができた。民芸運動の指導者で生活の中の美を追求した寛次郎の全てを知りたいと思った。
 記念館は彼が実際に生活した住宅であり、彼の陶芸や木彫、建築や書にも通ずる独特な芸術家の温もりが伝わる一種独特な空間であった。彼の作品に直に手を触れ、彼も上った階段を素足で上った。その軋みが静かな空間に響き妙にこころが落ち着いた。 
 生涯のモチーフであった美、仕事、暮らしの三極構造に周囲の作品を位置づけてみた。小さな中庭には、彼が自由に動かしたと言う丸い石が秋の雨に趣き深く置かれていた。そして住宅の一番奥のかつてにぎわったであろう静寂の登り窯で、しばらく思いを巡らした。
 彼のことば「此世は自分を探しに来たところ、此世は自分を見に来たところ」に納得し、何か目の前がはっきり見えたように感じ、しっかり自分を見つる生涯をと肝に銘じた。(2000.10)
       

風格を感じた魯山人の陶芸
 郡山市美術館で「桃山陶器と魯山人展」を観た。陶磁器に興味があり、京都の河井寛次郎記念館や益子の浜田庄司参考館を訪ねたりしていたが、魯山人についてはほとんど知らなかった。
 焼きものを茶の湯や、料理の道具として取り上げて、芸術的観点は付帯的な今回の企画に賛意を覚えた。それは、ガラス越しの陳列棚でない食卓をあしらった魯山人の器の展示にも表れていた。料理を盛り付ける実用の生活の中で初めて豊かな焼きものとなるのだ。
 魯山人の作品の多くが自由奔放な、独特な感性の作品そのものであった。全国各地の窯で焼いた独創的な作品から、彼が新しい陶芸の世界を造った総合的芸術家であることを知った。展示されていた筒型の深い向付や書の技法を生かした器が、特に興味深かった。
隣の部屋では魯山人陶芸の源でもある織部を久しぶりに鑑賞できた。あらためて古さの中に重厚な伝統・風格を感じさせられた。 (2002.11)

見事な職人芸 手作りの再認識
 先頃会津若松市で開催された「伝統工芸ふれあい広場・福島」を見学した。
 「伝統の技-作る手から使う手へ-」をテーマに、全国の伝統工芸品の数々が展示された。特に、京鹿の子絞りや伊勢形紙など、各地の伝統工芸士の方々の実演はテーマの具体化と思われ、興味が湧いた。
 これらの作品には・芸術作品ではなく日常使用されるもの・製造工程が手工業であること・およそ一〇〇年以上の技術技法であること・地域の産業として成立していることなどのいくつかの要件が求められているとのことだ。地方の特色を維持し発展した、重い歴史の詰まった各領域の作品にふれ、改めてその豊かさを思った。そして、昭和の初めに産業の機械の進む中、もづくりの素朴な美を評価した民芸運動にあらため思いを巡らした。
 生活様式の変化した現代に、とかく忘れられがちな手作りの日常品の温かさを改めて考えさせられた展示見学であった。 (2004.11)

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2 コメント

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いつも (マッチャン)
2007-03-09 21:27:47
意欲が大切ですね。身体が動かないと、心まで止まってしまいます。昔を思うと考えられないほど動けなくなりました。毎日動け、動けと言い聞かせています。
あれもやりたい、これもやりたいと思います。
暖かくなれば、心も暖かく、明るくなると言い聞かせています。
また水墨作品をアップして下さい。
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Unknown (マーヤンです)
2007-03-09 18:58:12
良いですね。趣味が沢山あって、形にすれば残りますものね。造った物を見てはその時の背景を思い出させますね。私も下手な横付けで水墨画を習い始めて2年過ぎましたが、春の展覧会が近いので奮闘中です。
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