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元旦の天声人語に、小学5年生の詩を読んだ。
《便利と快適は幸せと同義ではあるまい。「きゅうくつな幸せ」を、新春の空に思ってみる。》と結ばれていた。
あたたかいこたつ
家の家族は五人
「五角のこたつならいいなあ」
と、おねえさん
一番あとからはいる
かあちゃんは
私と同じ所
私はやっぱり
四角でもいい
我が家は長方形のこたつ、ばーちゃんの座る狭い一方向に、孫たちはばーちゃんを挟んで座る。
眠くなるとばーちゃんの隣に一緒に寝ている。正に、孫たちの《きゅうくつな幸せ》だ。
60数年前、狭い部屋で3人兄弟で過ごした日々を思った。そして、30数年前、それぞれに部屋を持ち育った我が子の贅沢を。
火鉢に手をかざし、冷たい寝床に湯たんぽを入れて寝た子どものころ、今ぬくぬくした電気の敷毛布にくるまれる孫たち。
家の中でエアコン暖房で過ごす生活、子どもたちにアカギレやヒビはない。
暮れに女優の高峰秀子さんが亡くなった。
小さいころに『名もなく貧しく美しく』と言う映画を見た覚えがある。
窮屈な、貧しい生活だったが、幸せだった。
年の初めに思う。
そんな「清く貧しく美しい」生活はもう出来ないのだろうか。
****************************
2011年1月1日付 天声人語
天気図の曲線が美しく描かれるとき、この国にきびしい寒波が来る。明けて元旦、大雪の新年をお迎えの方も多いことだろう。鉛色の空の下、帰省の道中に難渋された人は、古里の味わいもひとしおだろうと拝察する▼雪屋根の下の団欒(だんらん)を思う。福島県で続く児童詩誌『青い窓』に小学5年の女の子の詩が載っていた。〈あたたかいこたつ/家の家族は五人/「五角のこたつならいいなあ」/と、おねえさん/一番あとからはいる/かあちゃんは/私と同じ所/私はやっぱり/四角でもいい〉▼母さんと肩を寄せ、並んで座る幸せと安心がほのぼのと伝わる。ずいぶん前に書かれたそうだ。詩誌を主宰していた故佐藤浩さんはこの詩に触発されて、自らもこんな一行の詩をつくった。〈きゅうくつな幸せを忘れていました〉▼その「窮屈」を脱ぎ捨ててきたひずみが、この社会を苛(さいな)んでいようか。家族ならぬ「孤族」という小紙連載が、いたたまれぬ人間砂漠を報じている。「孤」をのさばらせず、人肌の体温を世に取り戻す意思を、互いに持ち合いたいものだ▼人間通だった心理学者の故河合隼雄さんによれば、自立とは独りで生きることではない。まして孤立ではない。自立している人とは、適切な依存ができて、そのことをよく自覚している人なのだという▼「こたつ」の詩に例えるなら、5人用に五角形のこたつを設(しつら)えて、互いが見えぬよう仕切りまで立ててきた近年ではなかったか。便利と快適は幸せと同義ではあるまい。「きゅうくつな幸せ」を、新春の空に思ってみる。
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元旦の天声人語に、小学5年生の詩を読んだ。
《便利と快適は幸せと同義ではあるまい。「きゅうくつな幸せ」を、新春の空に思ってみる。》と結ばれていた。
あたたかいこたつ
家の家族は五人
「五角のこたつならいいなあ」
と、おねえさん
一番あとからはいる
かあちゃんは
私と同じ所
私はやっぱり
四角でもいい
我が家は長方形のこたつ、ばーちゃんの座る狭い一方向に、孫たちはばーちゃんを挟んで座る。
眠くなるとばーちゃんの隣に一緒に寝ている。正に、孫たちの《きゅうくつな幸せ》だ。
60数年前、狭い部屋で3人兄弟で過ごした日々を思った。そして、30数年前、それぞれに部屋を持ち育った我が子の贅沢を。
火鉢に手をかざし、冷たい寝床に湯たんぽを入れて寝た子どものころ、今ぬくぬくした電気の敷毛布にくるまれる孫たち。
家の中でエアコン暖房で過ごす生活、子どもたちにアカギレやヒビはない。
暮れに女優の高峰秀子さんが亡くなった。
小さいころに『名もなく貧しく美しく』と言う映画を見た覚えがある。
窮屈な、貧しい生活だったが、幸せだった。
年の初めに思う。
そんな「清く貧しく美しい」生活はもう出来ないのだろうか。
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2011年1月1日付 天声人語
天気図の曲線が美しく描かれるとき、この国にきびしい寒波が来る。明けて元旦、大雪の新年をお迎えの方も多いことだろう。鉛色の空の下、帰省の道中に難渋された人は、古里の味わいもひとしおだろうと拝察する▼雪屋根の下の団欒(だんらん)を思う。福島県で続く児童詩誌『青い窓』に小学5年の女の子の詩が載っていた。〈あたたかいこたつ/家の家族は五人/「五角のこたつならいいなあ」/と、おねえさん/一番あとからはいる/かあちゃんは/私と同じ所/私はやっぱり/四角でもいい〉▼母さんと肩を寄せ、並んで座る幸せと安心がほのぼのと伝わる。ずいぶん前に書かれたそうだ。詩誌を主宰していた故佐藤浩さんはこの詩に触発されて、自らもこんな一行の詩をつくった。〈きゅうくつな幸せを忘れていました〉▼その「窮屈」を脱ぎ捨ててきたひずみが、この社会を苛(さいな)んでいようか。家族ならぬ「孤族」という小紙連載が、いたたまれぬ人間砂漠を報じている。「孤」をのさばらせず、人肌の体温を世に取り戻す意思を、互いに持ち合いたいものだ▼人間通だった心理学者の故河合隼雄さんによれば、自立とは独りで生きることではない。まして孤立ではない。自立している人とは、適切な依存ができて、そのことをよく自覚している人なのだという▼「こたつ」の詩に例えるなら、5人用に五角形のこたつを設(しつら)えて、互いが見えぬよう仕切りまで立ててきた近年ではなかったか。便利と快適は幸せと同義ではあるまい。「きゅうくつな幸せ」を、新春の空に思ってみる。
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その時折々の会津の様子を、楽しく拝見させていただいています。暮れの大雪は大変でしたね。
今年もご家族皆様がご健康とご多幸でありますようにお祈り申し上げます。
お互いに、健康に十分気をつけて。
「清貧」・・・思うことから、実践へ!
お屠蘇に酔いながら、そんな目標を立てました。
年明けはお日様は見えませんが穏やかな3が日です。
今年もよろしくお願いいたします。
デンさんにとっていい年になりますようにお祈りします。