昨年、日本天文学会が、会津若松市の史跡「日新館天文台跡」を日本天文遺産に認定した。
天文関連の遺産認定第1号となった。
近くを通りかかったので、あらためて眺めてみた。
【藩校唯一の遺構】日新館天文台跡
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【ネットの解説】 かつてこの場所にあった藩校・日新館の天文台の跡。日新館では選択制の授業の中に天文学を学ぶ授業がありました。会津では藩祖である保科正之が渋川春海に暦作りを命じたこともあり、天文学が盛んなところでした。
会津藩では冬至の日に次の年の天候を読んで藩に提出するのが通例で、日新館の天文を教える師範や諏訪神社の神官がそれを担っていました。そのために日新館には天文台が備わっていました。天文台がある藩校というのは、全国でもかなり珍しいようです。
(参)(毎日新聞 2019年3月15日付)
日本天文学会は13日、会津若松市の史跡「日新館天文台跡」を日本天文遺産に認定したと発表した。天文台跡は江戸時代に会津藩校・日新館内に造られた国内で唯一現存する天文関連の遺構で、同遺産認定第1号となる。
天文台は、日新館が完成した1803年に建造。文献によると、基底部は約22メートル四方、石を積み上げた台上部は約10メートル四方、高さ約6・4メートルで、当時は「観台」と呼ばれていた。観測状況は不明な部分が多いものの、星の観察や暦を研究する場として使われていたという。
会津藩は薩摩や水戸両藩などと並び、藩校に天文台があった数少ない藩。日新館天文台跡は大正時代に北側半分が壊されたとはいえ、現在は明治時代以前の天文台が全てなくなっていることから、往時の姿を残す貴重な遺構として評価された。
(参)会津若松市公式サイト 八重と会津博
日本トップの実力・会津藩校日新館 http://yae-sakura.jp/aizuhaku/column02
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この歳になって、ふるさとの歴史をもっと学ばねばと思っている。
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