書斎の窓を開けると氷柱が下がっていた。
朝食は三日とろろ、確かに年末からのごちそうに胃腸を休める意味もあるのか、おいしくいただいた。
箱根駅伝のTV中継を見ながら、三日とろろから円谷幸吉を思い出してしまった。
「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」どんなにか苦しかっただろうか。切ない遺書だ。
東京オリンピックのマラソン、陸上競技場でのヒートリーとの争いが目に浮かんでき
遺書の全文(原文ママ:wikipediaより)
- 父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
- 敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
- 勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
- 巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
- 喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
- 幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
- 正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
- 幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
- 良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
- 光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
- 幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
- 立派な人になってください。
- 父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
- 何卒 お許し下さい。
- 気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
- 幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。
暮れに加島祥造のテレビを見た。最大の節目に、また「生き方」を考えさせられている。
*************************************************
昨夜、普段寝る時間にテレビを見た。番組欄に加島祥造を見つけたからだ。
ETV特集10/19の再放送だった。
加島祥造氏と姜尚中氏の対談とあった。
番組はトークイベント風景から始まった。「愛とは?」の質問に・・・「生命力」と答えていた。
老詩人・加島祥造さんは90歳になった。ひげを蓄えた顔がいい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【以下:視聴しながらのメモ】
・伊那谷で自由を楽しむ人生、老詩人の日常を映した番組、いろいろ知った。
・横浜から伊那へ移って25年。
・息苦しさをかんじる。もうひとりの自分、「はじめの自分」の声を聞く。
・60歳を過ぎて家族を捨て、大学教授の職を捨て社会から逃げ出した。
・自由が欲しかった。自由への願望だ。
・伊那谷の大自然が心に焼き付いた。この自然に触れ「はじめの自分」を受け入れて安らぐ・・・一生涯自分とつながる自分
・独特な墨彩画を描く
・求めない、今の自分を受け入れる。 求めない すると心が静かになる
・時折、トークイベントで都会へいく。 「人生の失敗について」
・姜尚中さんが伊那谷の加島さんを訪ねる。二人はかつて対談したことがあった。
・還暦を迎えた姜尚中さんは語る。 「生の充実を求めたい。」
・社会的なプラスを受けなくて良い。生きる人間 here now
・都会には住めなくなった。
・ここ1年ほど、加島さんは心の奥に喪失感を感じていた。
→その日語りたりなかったことを姜尚中さんへ手紙に書く。
「母の死,AMさんの死について綴った。観音像の前で跪くAMさんとの出会い。
AMさんといると「はじめの自分」に会える気がした。10年ほど親しくしていた
AMさんが亡くなる.・・・・・・その慟哭を語った。」
・姜尚中さんからの返信 息子の死を記した。我がことのように受け止めた。
小説のテーマ・・・ 生きることに悩む息子を書く。
ある日、息子のパソコンを開いた。そこには「生きとし生けるもの 末永く元気で」 とあった。その意味を考えた。
彼は「社会を否定すること」でなく、「自分を否定すること」を選んだ。
姜さんは、自分の生き方が正しかったのか考えた。定年前に東大教授を辞める決断をし、別の生き方を選んだ。人生は、幸せを求めるだけでないことに気づいたと語る。
答えは分からないが息子に向き合っていきたいと。
・雪をいただく南アルプスの山並み。加島の自宅には「晩晴館」と看板がかかっている。
・AMさんの心
・その後、姜さんは加島さんと再会。
加島:小説「心」を読んだ。「死んだ人は、生きている人を励ましてくれる」
・大きな悲しみを受け止めた2人。 息子さん、AMさん、
・ ”alone but not lonely”
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●このテレビを視聴してもう一度「求めない」を確認した。
●伊那谷で、お茶を飲みながら雪の山並みを眺める老詩人の生き方を思った。
●社会のしがらみを切って自分の思うままの生活をしている。
・・・いまの自分には出来ない生き方だ。わがまますぎると思った。
●息子さんを亡くした姜尚中さん,AMさんを失った加島さんの悲しみを聞き
・・・・・・・我が愛犬ラックを思っている。
●視聴して「生き方」を考えている。
●本棚に何冊かの加島の著作がある。 「求めない」「伊那谷の老子」「タオ-老子 」 ・・・・ もう一度読み返してみたいと思っている。
● ときどき加島に触れてきた。拙ブログで検索すると、たくさんあった。
http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/s/%B2%C3%C5%E7%BE%CD%C2%A4
もう一度、かつての心境を辿ってみたくなった。 (2013.12.31)
某企業グループの競技大会に参加した
だけでもプレッシャーが凄いのに、
日の丸を背負ったオリンピックの緊張感
はもの凄いものと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
本年もよろしくお願いします。
ヒメオオさんはスポーツをおやりですか。
円谷選手の遺書全文を追加しました。
頃から今でもスポーツ競技はことごとく
ダメでした。
唯一「弓道」だけはむいていたようで、
7年間練習して、2~3度何度か九州から
東京に出かけて大会に参加させてもらい
ました。
これからやれることは、せいぜい里山を歩くことくらいでしょう。