【正面バルコニー】
朝河貫一を顕彰する特別展示を見に、郡山に安積歴史博物館を訪ねた。
県立安積高等学校の校門をくぐると、正面に旧安積尋常中学校本館があり、博物館となっている。
福島県唯一の中学校は、明治17年(1884)に創立され、県の中心的な中等教育機関となった。
館内には、安積中学校卒業の文学者・久米正雄の遺品展示、高山樗牛、中山義秀などの先人、日本臓器移植の先駆者である今泉亀撤顕彰特別展示などの部屋があった。当時の教室が復元され、安積中学から高校までの時代の学校生活の歴史を見ることができた。
世界平和に貢献した朝河貫一展示の部屋では、胸像や肖像画とともに、多くの書籍や書簡が並んでいた。
中でも、小学校・中学校と同級の川俣町の渡辺熊之助への借金を依頼する本人の書体を興味深く観察した。【拙ブログ(2010.1.29) 「朝河貫一 祖国を愛し続けた真の国際人」】
「朝河の道」というパンフレットをいただいた。朝河貫一博士顕彰協会発行のもので、二本松エリア、立子山、川俣エリア、福島エリアに分けられ、25か所の博士ゆかりの地が紹介されていた。
近々、これを頼りに博士の思いをたどってみたいと思っている。
また、現代の卒業生である、坪井栄孝元日本医師会会長、音楽家湯浅譲二氏、芥川賞作家の玄友宗久氏のコーナーがありその業績を展示してあった。
この旧本館は昭和53年に半解体修理工事され、創建された場所に創建されたそのままで現在に残る全国唯一の文化財だそうだ。洋風建築で鹿鳴館造りのバルコニーなどのモダンな建築技法を見ながら、かつて訪ねた松本市にある旧開智学校を思い出した。
卒業式関連行事の振り替えの休日で静かな校内だった。野球部の部活動の生徒の溌剌とした挨拶を受けながらグランドに向かった。あの朝河桜を見たかった。
太い幹が途中から折れていたが、この春もきれいに咲かせるであろう、つぼみが膨らんでいた。実に120年の風雪に耐えてきたのか。枝を広げるつぼみを見ながら、かつてこの根元に表紙だけになった辞書(暗記したページを食べたり捨てたりしたという逸話がある)を埋めた朝河貫一博士の純粋に羽ばたかんとする青春像を想像した。(2010.2.2)
【朝河博士の肖像画】
【2階の講堂】
(参考)いつか開智学校を訪ねた折のエッセイ
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≪「開智」に見た信州教育の礎≫ (福島民報 2003.7.8付)
先日、長野県松本市の旧開智学校を初めて見学した。明治五年の学制公布から始まる近代教育だが、その文中「・・・其ノ身ヲ修メ智ヲ開キ才芸ヲ・・・」から命名された、我が国最古の小学校である。擬洋風様式の校舎はしばらく見とれるほどモダンであった。
充実した教育資料から文明開化の時代の新鮮な教育理念に触れることができた。磨り減った木造校舎の階段を上りながら、ぬくもりと共にふとあの啄木の渋民小学校の教室が浮かんできた。
「智を開く」とは昨今の教育改革で言われる生きる力であり、小学校だけでなく幼稚園から高等教育、特殊教育機関までもが併設されて行った開智学校の歴史は、今の中高一貫教育の理念を見る思いであった。そして学校の建築費用が松本町民の献金によって賄わたことを知り、当時の地域社会の意欲あふれる熱意を感じ改めて信州教育の礎をみた思いがした。 かつてここに集い学びし童は今何処に。
【旧開智学校】
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また先月28日には、福島県の広報番組で朝河貫一博士が紹介されていました。(http://www.fct.co.jp/program/oshiete/)
いろいろな情報をありがとうございます。
見逃した2/28のTV「偉大な先人の足跡を訪ねて」を見ることができました。
郷土の先人を、特に青少年に顕彰することは、おとなの使命と思います。
映像で、武田徹先生のお元気なお姿を拝見、職場でご一緒したことを思い出しました。