エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

皆鶴姫の碑

2012-05-24 | 街中散歩

   きのうの不動滝行きは快適だった。今日も自転車で行けるところへと思い出かけたが、日差しが強く暑かった。

これから夏に向かっては、やはり気をつけなければいけない。

  田植えの済んだ広い田園風景、遠くに残雪の飯豊の山並みが美しかった。

 

 源義経と皆鶴姫の悲恋物語を伝える碑「皆鶴姫の碑」を見てきた。

 
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  「義経伝説と会津」(石田明夫の考古学から見た「会津の歴史」)より  
 源義経が、京都の鞍馬寺に預けられているとき、兵法書を吉岡鬼一法眼が持っていることを知り、見ることを願い出るが許されず、娘の皆鶴姫に近づき、兵法書を写し取ることに成功する。平氏の追っ手が近づいていることを知り、義経は平泉に逃れた。皆鶴は、義経の後を追い、会津に来たが、追っ手により発見され、義経との間にできた帽子丸がとらえられ、沼で溺死。皆鶴は、藤倉の難波沼まで来たが、身を悲観し、沼に身を投じて亡くなった。墓が造られ、難波寺が建てられたが、寺は廃寺となった。この碑は、寛政5年(1793)に会津藩で建てられた。
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 また、皆鶴姫の碑のすぐ南には、3基の板碑「暦応の碑」があった。南北朝時代に造られたもののようだ。

右から、阿弥陀如来を表す「キリク」、観音菩薩を表す「サ」、勢至菩薩を表す「サク」が彫られている。

 

  田の畦のヒメジョオンにウスバシロチョウが吸蜜していた。のどかな田園風景だ。

 

  ときどき、身近な文化財を訪ね郷土の歴史に触れたいと思っている。

 

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