都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
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「遠くて近きは男女の仲」といわれれば、真面目を銅像にして洋服を着せたような人でも、一つや二つは思い当たる話があるはずです。それほど、いいえて妙な言葉です。では、この名言、誰が作ったのでしょうか。
外国の有名作家の文章に出てくる一節のような雰囲気があります。「モーパッサン」とか、「チェーホフ」とか・・・。
実は、この言葉に作者は清少納言なのです。彼女は『枕草子』の中で、「遠くて近きもの、極楽。舟の道。男女の中(仲)」(第162段)と書いています。
また、「近くて遠きもの、宮のべの祭り、思はぬ同胞(はらから)。親族の仲」(第161段)とも書いています。※思はぬ同胞:愛情のない兄弟
清少納言は、才能が豊かで、男どもでもやり込めるような勝気さをもっていたそうです。
対して、紫式部は控えめで自分の才能を見せびらかすようなことはありませんでした。そんな紫式部にとって清少納言はどうも気にいらなかったようで、紫式部は日記の中で次のように書いています。
「清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 さばかりさかしだち真名書き散らしてはべるほども よく見れば、まだいと足らぬこと多かり かく 人に異ならむと思ひ好める人は かならず見劣りし 行末うたてのみはべれば え心になりぬる人はいとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ をかしきことも見過ぐさぬほどに おのづからさるまてあだなるさまにもなるにはべるべし そのあだになりぬる人の果ていかでかはよくはべらむ」
(清少納言は。高慢な顔をして、まことにいやな女です。りこうぶって、いかにも学問に優れているようなことを言っているけれども、よく見れば、まだまだ不充分な者です。それなのに、なにかにつけ人とは違うところを表そうとばかりする。そんな人は必ずぼろを出し、やがてはろくでもないことになるでしょう)
よほど紫式部は清少納言が気にいらなかったようです。
因みに、清少納言自身は、いい恋愛はできずに一生を終えたとみられています。
紫式部が一度の結婚だったのに対し、清少納言は再婚をしています。
あまりの賢さに男性に敬遠されたともいわれていますが、おそらく彼女が宮廷にあって切ない思いを寄せた男性は一人や二人ではなかったのではないでしょうか。
清少納言が実感したのは、「近くて遠きは男女の仲」だったのかもしれません。
したっけ。