都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
■数え方の不思議
まず、日本語で1から10まで声に出して数えてみてください。
1 、2、3、4、5、6、7、8、9、10
次に、10から1まで下がって数えてみてください。
10、9、8、7、6、5、4、3、2、1
何か気が付きましたか?
気づかない。じゃあ、もう一度ゆっくり数えてみてください。
上昇して数える時にはおそらくこう言ったはずです。
イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、キュー、ジュー
それに対して下降して数えるときはこう言ったのではないでしょうか。
ジュー 、キュー、ハチ、ナナ、ロク、ゴ、ヨン、サン、ニ、イチ
下降の「キュー」は「ク」だったかもしれませんが、4と7に注目すると面白いことが分かります。どうしてこうなるのでしょう。
まず4と7には「ヨン・シ」「ナナ・シチ」というそれぞれ二通りの読み方がある事実を確認します。なぜ3や8は「サン」「ハチ」としか読まないのか、という疑問が生じますが、3や8にも「ミ」「ヤ」のような読み方があったものの、現代の日本語で数を読み上げる場合に定着しなかったのでしょう。
次に着目したいのは、上昇時の「シチ→ハチ」と下降時の「ヨン→サン」の2箇所。いずれも韻を踏んで同じ音で終わっています。俳句ならともかく、数を聞き分けるという観点では同じ韻の数字が複数しかも続けて出現するのは好ましくないですよね。
「シチ」と言ってしまった後にはできれば同じ韻で終わる「ハチ」とは言いたくないのですが、8には「ハチ」以外の読み方がないから仕方がない。同様に「ヨン」と言ってしまった後では「サン」としか言えない。
しかし、上昇時に「サン」と言った後の4は「ヨン」以外に「シ」という読み方があるので韻が異なるそちらが選択される。同じく下降時に「ハチ」と言った後の7は「シチ」以外に「ナナ」という読み方があるのでそちらが選択される。
とはいえ、これについての明確な解釈はありません。
日本人って、一から十まで数える時と、反対に十から一まで数える時とで、4と7の読み方を無意識に変えてるいのです。
■十の数え方
まず、次の漢字を声に出して数えてみてください。時計の読みです。
一分、二分、三分、四分、五分、六分、七分、八分、九分、十分
一分:「いっぷん(ippun)」
二分:「にふん(nihun)」
三分:「さんふん(sanhun)」
四分:「よんふん(yonhun)」
五分:「ごふん(gohun)」
六分:「ろっぷん(roppun)」
七分「ななふん(nanahun)」
八分:「はっぷん(happun)」
九分:「きゅうふん(kyuuhun)」
十分:「じっぷん(jippun)」
十分は「じゅっぷん」ではありません。
また、十分を「じゅうぶん」と読むときは「不足無く満ち足りた状態」を意味しますので注意してください。
また「10分」と書いたときは「じゅっぷん」でもいいそうです。
「十本」「七時五十分」もおなじです。
正しくは「じっぽん」と読む。中学生の時に,国語の先生が『「七時五十分」は「しちじごじっぷん」と読む。「ごじゅっぷん」という読み方はない』と教えてくれました。
でも、今は「じゅっぷん」「じゅっぽん」も区別がなくなりました。
したっけ。
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