都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「養生三宝(ようじょうさんぽう)」について考えてきましたが、今日はそれに関連する「精進料理」について考えてみます。
しょうじん‐りょうり〔シヤウジンレウリ〕【精進料理】 魚介類や肉類を用いず、穀物・野菜などを主とする料理。殺生を戒める大乗仏教の考え方に由来。⇔生臭(なまぐさ)料理。 デジタル大辞泉 |
魚肉類を用いず穀物と野菜で調理する精進料理は、日本の食文化の中で長い伝統を持っています。日本人は中世の頃まで、魚や獣肉も食べていましたが、徳川時代には獣肉を食べなくなったために、精進料理もそれだけ洗練されるようになりました。
「生類憐れみの政策」とは、「生類」すなわち生き物についての様々な法令の総称です。1865年(貞享2年)、徳川綱吉は江戸城中の調理に鳥魚類の使用を原則禁止します。ここでは肉については触れていませんが、そもそも江戸城中に肉料理はなかったようです。
今日においても、和食に色を添えるものとして、確固たる位置を占めています。西洋風のベジタリアン趣味とは別の意味で、日常の食生活の中に溶け込んでいます。
「精進料理」は、精進という言葉が仏教用語であることからわかるように、仏教寺院、とりわけ禅寺を中心に行われていたものが、次第に庶民の間にも広まっていったものです。
しょう‐じん〔シヤウ‐〕【精進】 [名](スル) 1 雑念を去り、仏道修行に専心すること。 2 一定の期間行いを慎み身を清めること。 3 肉食を断って菜食をすること。 4 一つのことに精神を集中して励むこと。一生懸命に努力すること。「研究に―する」 デジタル大辞泉 |
日本に精進料理をもたらしたのは、鎌倉時代の禅僧栄西(1141~1215)と道元(1200~1253)です。彼らは宋(960年~1279年)に留学し、そこで学んだ禅宗を日本にもたらしたのですが、それと同時に宋の禅林で行われていた精進食をも持って帰りました。宋の精進食は禅林における修行の一環として位置づけられており、喫茶と深く結びついていたといわれます。
栄西は「喫茶養生記」という書物を著しているが、その中で精進食のことを「茶の子(茶を飲むとき口にする菓子)」と呼んでいます。
きっさようじょうき〔キツサヤウジヤウキ〕【喫茶養生記】 鎌倉前期の茶道書。2巻。栄西(えいさい)著。建保2年(1214)成立。茶種を日本にもたらした栄西が、茶の栽培、喫茶の方法、喫茶による養生などについて記したもの。 デジタル大辞泉 |
では宋から持ち帰った当初の精進料理とはどのようなものであったのでしょう。
仏教の殺生戒にもとづいて、生き物を用いず、穀物や野菜を主体にしたものであったことはいうまでもありません。だが穀物と野菜だけでは栄養に偏りがでるので、蛋白源を補充するものとして大豆を加工した料理が、またエネルギー源として油をもちいた料理が普及しました。それまで日本人は、油を用いて料理することはあまりなかったのです。
大豆を加工した食品としては、納豆、豆腐、油揚げなどがあります。
納豆は北魏(中国の王朝/386~534)の頃考案されたとされますが、これが禅林の精進食を通じて日本にもたらされました。
最初は豆味噌と区別がつかなかったようなものだったようですが、次第に今日のようなものに変化したといわれます。
豆腐は漢の高祖(566‐635)の時代に作られ始め、宋代の禅林にあっては精進食の花形ともいえるものになっていました。これが精進料理として日本に伝えられるや、早々と禅寺を超え、ひろく庶民に伝わっていきました。
油揚げの類は豆腐を油で揚げたものです。
精進料理に用いられた油はゴマの油でした。いまでも「ごますり坊主」という言葉が生きているように、ゴマの油は禅寺と深く結びついています。調理の仕方としては、衣などはつけず、食材をそのまま油の中に入れてあげるという、単純なものでした。天麩羅が普及するのは安土桃山時代のことです。
精進料理の大きな特色として、小麦粉を用いた食べ物があげられます。
素麺などの麺類や包子、水団、饅頭の類です。
麩は南北朝時代(後醍醐天皇が京都より吉野へ入った1336年から,後亀山天皇が京都へ帰る92年まで)に伝わったとする説もありますが、宋代の中国にはすでに精進料理を代表するものとしてあったのですから、栄西たちも口にしていたに違いありません。それが日本に伝えられたのだと思われるのです。
麺類はやがて米食を補完するものとして、日本人にとって大事な食品へと発展していきます。
麺と並んで精進料理の代表格である饅頭は、もともと肉を小麦粉の皮でくるんだものをいいました。それを日本の禅林では、肉の代わりに小豆をもちい、名称も「まんとう」から「まんじゅう」へと変え、精進料理のメニューに加えたのです。
饅頭と似たようなものに、羊羹があります。これは中国においては、点心の一つとして食されているもので、名称のとおり羊の肉を用いたものでした。羊の代わりにほかの獣の肉を用いれば、猪羹、月鼠羹、白魚羹などとなりました。それを精進料理にあっては、肉の代わりに小豆を用いるようになったのです。月餅なども似たような事情をたどった食べ物です。
このように小麦を用いた食品が普及していった背景には、鎌倉時代以降、水田の裏作として小麦が広く栽培されるようになった事情が働いていたものとかんがえられます。
こうしてみると、今日我々日本人の食卓に上がっている食べ物の多くが精進料理由来であることがわかります。精進料理は日本の食文化の長い歴史の中で、外来の起源を持ちながらも、我々の食生活に深く溶け込んできたといえます。
禅寺と精進料理等参照
健康食を心がけるなら、精進料理はもってこいのものだと思います。ベジタリアン(菜食主義者)とは異なり、栄養にも配慮した完成された料理だと思います。
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