都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
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淀川躑躅 ツツジ科
ヨドガワツツジ 別名:ボタンツツジ(牡丹躑躅)
花期:春
チョウセンヤマツツジ(朝鮮山躑躅)の雄しべが弁化して八重咲きとなったものです。古くから栽培されていて,朝鮮には自生しているそうです。
海棠 バラ科
カイドウ 別名:ハナカイドウ(花海棠)
花期:春
桜の花に似ていますが,花の柄が長く花が下向きに咲きます。色も,赤に近い桃色です。
淀川躑躅は豪華ですが、海棠ハカワイイという表現がピッタリの花です。
今日は五月晴れのいいお天気です。暑くもなく、寒くもなく、風もなく、絵に描いたような五月晴れです。
なんて、皆さんもよく使いませんか。でも、本当の五月晴は意味が違うんですよ。
【五月晴】(さつきばれ、五月晴れとも表記)
この言葉は江戸時代から用いられていたことから推測すると、ここでの五月とは陰暦であり今の六月をさすことは明白です。六月(陰暦の五月)の梅雨時に見られる晴れ間のこと。「さつきばれ」と読む場合はこの意味となります。
「ごがつばれ」と読む場合は、新暦五月の晴れの日を指します。五月半ばごろに大陸から流れてきた高気圧によって、晴天が続きます。こちらも「さつきばれ」と読まれることがあります。もともとは梅雨の晴れ間をさす言葉であったのだが、現在では、新暦の五月の清々しい晴天のことをいうようになっています。
【五月雨】(さみだれ)
サはサツキ(五月)のサに同じ、ミダレは水垂みだれの意といわれています。
陰暦 五月頃に降る長雨。また、その時期のことを言います。
つゆ。梅雨。さつきあめ。夏の季語。
奥の細道「五月雨をあつめて早し最上川」
「五月雨」もそのうちに本来の意味を離れ、五月の清々しい季節に、時折降る明るい雨となるかもしれませんね。
どうです、皆さん。言葉というのは生きているんですね。時代とともに姿を変え、本来の姿さえ想像もできない、怪獣のようです。
でも、本来の意味を知って、現代風に使うのと、知らずに使うのでは言葉の重みが違います。
おまけですが、「重複」はなんと読みますか。ちょうふくが正解ですが、現在ではほとんどの人がじゅうふくと読みます。私はちょうふくと言って「何それ、間違ってるよ。」と訂正されたことがあります。
したっけ。
新語や造語をどう思いますか?
新語ってのは、時代に合わせて言葉が作り出されるってことだろ。それは仕方がないよ。今までになかったことを表現するために必要だからな。
でも、造語は良くない。造語ってのは、改造後ってことだろう。これはダメだよ。言葉の本来の意味を失ってしまうからな。言葉ってのはちゃんとした意味があって成り立ってるんだ。それを失っちゃあいけねぇよ。
ただ、造語がまさにぴったりてヤツがあるから困るんだよ。最高傑作は「危機一発」だよ。「007危機一発」映画のタイトルだ。こいつが実に良くできてる。これが本当だと思ってるヤツさえいるくれぇだ。確認のために言っとくけど「危機一髪」が正解だぜ。
本当を言うと、オレもたまに使ってるんだよ。小説書くときに、表現の手段としてな。本当はそんなことに頼らず書かなくちゃいけねぇんだけどよ。
だから、新語と造語をいっしょくたにして質問するってこと自体、言葉の意味を分かてないんじゃないか。
新語はいいけど、造語は駄目だってのがオレの結論だ。いつも言ってるけど、質問のしかたがおかしいんだよ。新語と造語は別もんだぜ。
したっけ。
今や何処もかしこもタンポポだらけ。抜いても、抜いても生えてくる。根が深いので抜くのが大変。庭にとってはありがたくない存在である。いくら抜いてもピエロのように笑っている。毎日黄色いピエロとの格闘である。
そこでタンポポについて調べてみた。
タンポポ(蒲公英)
菊(きく)科。
開花時期は、3月中旬~5月末頃。(秋になっても咲いていることがある。)
何処ででも見かける黄色い花。舗装の隙間のも生えている。
種子は風に乗って飛んでいく。自宅庭のタンポポを抜いても飛んでくる。
種子の冠毛が丸く集まっているようすが「たんぽ」(綿を丸めて布などで包んだもの)に似ていることから「たんぽ穂」と言われ、「たんぽぽ」になったらしい。
別名 「鼓草(つづみぐさ)」
茎の両端を細かく裂くと、そり返って鼓のような形になるから。
また、「たんぽぽ」の名は、この鼓をたたいたときの音の「たん、ぽんぽん」の略からきている、ともいわれる。
中国では「タンポポ」を「ババチン(婆婆丁)」と呼ぶが、古くは「チンポポ(丁婆)」と言い、「チンポポ」から「タンポポ」になったとする外来語説もある。
英語名は「ダンデライオン」”ライオンの歯”。(フランス語の dent de lionから来ている)
独特の葉のギザギザを、荒々しい獅子の歯並びにたとえた。
漢字の「蒲公英」は漢名から。
蒲公英根(ほこうえいこん)は漢方薬
全草を乾燥したものは蒲公英根(ほこうえいこん)という生薬として用いられ、解熱、発汗、健胃、利尿などの作用がある。
日本タンポポと西洋タンポポの違い。
総苞片(そうほうへん)が反り返っているのですぐわかるとは言っても、実際に見たことがなければ想像できませんよね。そこで、西洋タンポポと日本タンポポを並べてみました。西洋タンポポでは真ん中辺に緑のヒラヒラが付いています。これが総苞片で、日本タンポポにはこれがありません。ですから、簡単に区別できます
都市近辺で見られるのは、ほとんどが帰化植物の「西洋タンポポ」。(花の下のところがめくれています)
黄色い花が圧倒的だが、白花のものもある。
たんぽぽの蜜(みつ)は、春の花々が咲くまでの蝶の貴重な食料となる。
比較的若い葉を水にさらしてサラダにできる。また、花は天ぷらにして食べられる。
となっています。西洋タンポポは食料として輸入されたものが広まったとされているのですが・・・。でも美味しくないので誰も積極的には食べないのでしょう。食べたと言う人はあまりいません。私は食べたことがあります。おひたしで食べたのですが、全く味はありません。醤油の味しかしませんでした。
今日は私の〇〇歳の誕生日でした。もうこの年になれば、ハッピーバースディーてわけでもないし、アンハッピーでもない。
過ぎてきた人生よりも、残りの人生のほうが短いことは分かっている。
それでもたいした病気もせず、平凡に生きてこられたことには、感謝しなくちゃならないだろう。これからも病気だけには気をつけて、家内や子供たちの迷惑にならないように生きていかれるなら、こんな幸せはないであろう。
もう迷惑をかけているのかもしれない。しかし、これ以上の迷惑は掛けたくない。
娘は、私にデジタルフォトフレームをくれた。牛乳アレルギーの私のためにバースディーケキはアップルパイだった。
今日は昨日と同じ一日を過ごし、明日は今日と同じ一日を過ごすであろう。たまに冠婚葬祭がある程度の違いはあるにせよ、大幅な違いのない一日。
私を取り巻く総ての人たちに感謝して、今夜は眠ろう。
今日は、朝から身体がだるくて気が重い一日で、誕生日など忘れていた。
覚えていてくれた家族に感謝して、今夜は眠ろう。ぐっすりと眠ろう。
今日と同じ明日を迎えるために・・・。
昨日、桜前線も終焉を迎え、今日の寒さでお花見気分は、あっという間に通り過ぎました。
お花見気分の終わったところで「姥桜」について考えてみようと思います。
皆さんは「姥桜」についてどんなイメージを持っていますか?あまり良いイメージではないと思いますが、本当にそうなのでしょうか。
辞書によると、下記のようになっています。
姥桜(うばざくら)
1 葉が出るより先に花が開く桜の通称。寒緋桜・姥彼岸桜など。葉がないことを「歯無し」に掛けた語という。
2 女盛りを過ぎても、なお美しさや色気が残っている女性。
もう見た目から「老」という字が入っているので、年配の女性を比喩する(または本人が自嘲する)言葉っぽいですが、「本来の意味は、娘盛りを過ぎても美しい女性のことで、誉め言葉」だそうです。
かといって、年配の女性に誉め言葉のつもりで言っても大半の方は気分を害しそうなので、使わないほうが良いと思います。
「姥桜の狂い咲き」という言葉があります。
「姥桜」とは葉が出る前に花を咲かせる桜の通称であることは前記にありますが、元々は「葉がない」=「歯がない」=「姥(老女)」という駄洒落から名づけられました。
ストレートに「桜の老木」を指して使われることもあります。
「狂い咲き」とは季節外れに花が咲くこと。春に咲く筈の桜が秋に咲く、などに使われます。
年老いた桜が季節外れの花を咲かせるように、「老女が年に似合わぬ色気を出す」または「老女が年甲斐もなく恋愛に身を焦がす」といった意味で使われます。
また比喩的に、「とっくに老衰したと思われた人間が、最後の力を振り絞って大活躍する」ことを指す場合もあります。
姥・老女からの連想で「お歯黒」についても触れておきましょう。
「お歯黒」は明治初期まで長い歴史を経て続いていた女性の習慣であった。文字通り、歯を黒く染める風習である。別名「鉄漿 ( かね ) 」「かね」「はぐろめ」「歯黒」「涅歯(でっし、ねっし)」とも呼ばれ化粧品の一種で、時代の風俗によって歯を黒く染める鉄の溶液や、またそれを使用して歯を染めること、あるいは、染めた歯を示すようである。
お歯黒の起こりは日本古来からあったという説(日本古来説)、南方民族が持って来たという説(南方由来説)、およびインドから大陸、朝鮮を経て日本に伝わったという説(大陸渡来説)がある。この三つの説はいずれも定説がないのが現状であるが、たとえ外国から伝来した風習であるとしてもこれを消化、吸収し、さらに日本特有の文化に練り上げ千年以上の永きにわたり日本婦人の虫歯の予防に役立っていたことは驚嘆に値する。
歯黒も歯の健康にとってはどうやらたいへん良かったようです。まず、お歯黒をつける前に歯の汚れ、つまり歯垢をとらなければなりません。そのため、自然にムシ歯の予防効果がありました。
お歯黒をつけることにはいろいろな意義があったが、江戸時代においては既婚婦人のしるしで、まずは白い歯を染めて、「二夫にまみえず」との誓いの意味あいがあった。黒は何にも染まらない色ということで夫に対する「貞節」の証だったのです。
歯は白い方が美しいというのは現代の考え方。奈良時代(弥生時代とも)から明治初めまで、日本では歯が黒い方が美しいという価値観があったそうです。今と美意識が違ったようですね。