年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬の落穂ひろい2

2010年06月18日 | 福神漬
内田弥太郎は急に今の人達に知られたのは1981年宝塚ミュージカルロマンス 「かもめ翔ぶ海」・アニメ『天保異聞 妖奇士(てんぽういぶん あやかしあやし)』2006年あたりかもしれない。
嘉永元年明屋敷番伊賀者より内田弥太郎は浦賀奉行手付となり嘉永二年七月下曽根金三郎に付属し、砲術取建并御警備御用となる。弘化4年に戸田伊豆守氏栄が浦賀奉行となっているので、戸田が浦賀に赴任していた時の話となる。さらに嘉永3年に高野長英が撲殺された時もペリーが浦賀に来た時も内田弥太郎は浦賀にいたと思われる。高野長英の逃亡が終わった時、なぜか長英を匿った内田弥太郎は軽い咎めだけですんだのは幕府開明派の力があったと思われる。このことが内田の門人である幕臣花香恭法に戸田伊豆守氏栄の遺児鉄丸を二人目の養子(花香恭次郎)とし教育したと思われる。
 南浦書信 嘉永6年12月2日の井戸石見守あての書状で戸田氏栄は内田弥太郎の功績を認めて手当ての増額を申請している。
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