年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

二人の喜兵衛

2010年06月27日 | 福神漬
石井研堂の缶詰の始まりから五稜郭の戦いで死去したと思われる喜兵衛の記録を調べる。『幕末維新全殉難者名鑑 一~四』明田鉄男編  発行者:新人物往来者  昭和61年発行を都立中央図書館3階開架の所から探し出す。
 第四巻245ページ 幕府軍のところで彰義隊所属の喜兵衛は明治2年4月19日木古内で戦死している。さらに調べてゆくと261ページに喜兵衛が千代ヶ岡陣屋のところで5月16日に戦死している。この日はこの陣屋を墓所と決めて戦死した箱館奉行並中島三郎助が戦死した同じ日同じ場所で亡くなっている。
喜兵衛という人物が二人も箱館戦争で亡くなっている。石井研堂の喜兵衛は千代ヶ岡陣屋の戦闘で死去したほうだろう。五稜郭タワーから下を見ると五稜郭と千代ヶ岡陣屋はいくらも離れていない。書物では解らない現地の距離がタワーから見下ろすと気がつく。
 千葉行徳の喜兵衛の子山田箕之助が気になる。山田箕之助は西日暮里諏訪台の浄光寺にある福神漬顕彰碑に名前がある。どのような人物だったのだろうか。
コメント
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