年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

数学の文明開化 佐藤健一著

2010年06月24日 | 宅老のグチ
福神漬の歴史とか由来とか調べていくうちに不思議なことにぶつかる。明治初期の多摩地方で農民の青年層が地租改正の影響で田畑を測量する数学者をみて、数学の塾が盛んであったという。
 明治以前、日本の代数は「そろばん」を使っていたため、筆算による代数の進歩が遅れたようである。江戸時代の将軍吉宗が暦と実際が異なるのに気付き、1720年(享保7年)から洋学が一部解禁されると日本人が関心を持ったのが医学・測量(土地面積を測る)と天文学・暦学にかかわる三角法や対数であった。
 幕末大阪で活躍していた和算家福田理軒は「大艦や大砲を製造して外国の侵略を防ぐ方法を身につけるには数学や科学を勉強しなくてはならなかった。」和算は趣味のようなもので西洋数学のような実用性がなかった。
 ペリー来航時、浦賀に集まった蘭学を学んだ人達はこの様な目的があったためである。黒船来航で逃げる人と好奇心で浦賀に来る人達を見事にさばき、米国艦隊に日本を攻撃する口実を与えないように準備に成功しました。
 明治まで生きた内田弥太郎は天文学者として太陰暦から太陽暦の改変に指導者として活躍しました。漬物に関しては『べったら市』開催日に影響を与えました。
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函館ドック

2010年06月24日 | 宅老のグチ
函館市で一番の大企業と思われるのが函館ドックである。明治29年創業のこの会社には三遊亭円朝の落語『七福神詣で』で出てくる貴紳士が役員となっていた(渋沢栄一・大倉喜八郎・浅田正文)。明治の終わりころ、経営危機となり、横浜ドックの社長であった川田龍吉を経営者に迎え、立て直しを図った。第一次大戦の好景気によって良くなったという。川田龍吉は第三代日本銀行総裁川田小一郎男爵の長男である。この川田龍吉が函館ドックを退職後、農場を始め、ジャガイモの男爵イモを日本に普及させた。今でも日本国内では男爵イモの割合はメークイン等の他の品種より多いという。
 造船は福神漬の歴史に妙に絡んでくる。
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