年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

昔の中央区の築地市場イジメ

2011年12月17日 | 築地市場にて
寒い12月の築地

一年で年末が一番築地が混むのだがバブル崩壊後年々場内の混雑が減って今では事故さえなければイライラすることはない。バブル期に築地のある中央区は8万人程の人口だったが地価の下落とともに高層マンションが中央区に多数できたことによって高収入の住民が増え、深夜に残る仕事のために都心に住まなければならない人が増え12万人となったようだ。8万人程の時は、昔から住んでいた人と築地関連の人達が中央区に住んでいたが増えた新住民は魚を食べる人が少ないと思う。肉食新住民は築地市場が迷惑施設と思っていたのか、新大橋通りの歩道にターレーが走行出来ないようにポールが立ち、歩道に縦列駐車していた買出し人は追い出され他市場に行ってしまった。中央分離帯に塀が出来、駐車違反の取り締まりが厳重となった。ところが中央区は築地市場は都の管轄だからと駐車施設の拡大を計らなかった。ところがミシュランのガイドブックに日本に来る外国人観光客の築地人気が増えると手を返したように移転反対を唱えるようになった。年末年始に築地市場に買出しに来る素人買出し人はシートベルト着用は築地警察の点数稼ぎ、路上駐車は駐車監視員のカモとなる。築地警察の交通安全週間の講習会で署員の講師は築地4丁目を先頭とし渋滞が国会議事堂までと門前仲町まで繋がるので他の警察署からクレームが来ると講演していた。実に迷惑施設という言い方だった。
 築地市場再建工事のとき築地川に作った(浜離宮との間に)工事用の仮設通路も中央区が年末だけ使用させたため、場内が混雑していたので大口顧客である量販店が築地から逃げた。定時に魚が店に届かないと売り場ががら空きとなる。青果の大口の顧客は混雑のない大田市場に行ってしまった。
 10年ほど前から仮設通路は一年中使えるようになり、一方通行が設定され、連休明けでも築地市場内は混まなくなった。それによって力のある仲卸の場内配送力が増え、販売力強化となり優劣の差が増え倒産廃業が増えた。

 いまさら観光資源といっても大口の顧客は築地に戻らない。覆水盆に返らず。
コメント
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