年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

神奈川県立図書館で

2011年12月18日 | 宅老のグチ
都立中央図書館が休みなので横浜まで行って磯野計君伝を借りて読む。目的は計氏の妻だった福子さんの江戸のどこの生まれか調べることだったが結局詳しい記述はなく、幕臣だった広瀬氏が下谷の住民だったか不明となった。
明治30年12月18日、芝増上寺で明治屋創業者磯野計の葬儀があった。毎日新聞の訃報の広告では喪主はきく子となっていた。磯野計君伝によると「菊子」の名前の由来は計氏が菊の花が好きだったので名付けたという。また訃報広告には親族として米井氏、友人として豊川良平の名前があった。ただこれだけのことで横浜の図書館を出ると石柱に神奈川奉行所跡とあった。確か長井昌言が神奈川奉行所に一時いたことがある。紅葉坂を上った所にある神奈川奉行所の位置から横浜の港がはっきりと見えただろう。
コメント
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