イギリスのスキャンダル報道から
イギリスで新聞記者が電話を盗聴し一般庶民向けのスキャンダル記事を書いていたことが判明した事件があった。明治日本の創生期には新聞は旧幕臣に人たちが創った新聞が多く、それなりの信条があって政府と対決する報道をしていたように思える。しかし、西南戦争後、国が徐々に安定してくると新聞記事に期待する読者層が変わり、新たに読者となった一般庶民が政治報道だけでなく、芸能・芸者情報記事が好まれるようになり、新聞報道が政論新聞から政治弾圧を避けるために、歌舞伎演劇・戯作的連続読み物と政府高官・金持ち・僧侶等の妾の記事を売り物とする小新聞が販売部数を増やした。小新聞は同時に従来の観念からはみ出た女性を攻撃することで政府がすすめる欧風文化政策を間接的に攻撃していた。当時のファションリーダーは芸者で彼女等の口コミ宣伝から福神漬が普及する事となる。次に女学生がファションリダーとなるのは明治20年代以後のことで鹿鳴館の頃は好奇心の餌食となっていて根も葉もない噂で攻撃されていた。今では史実のように語られているが殆どは虚偽の報道であると言って良い。当時の庶民向けの事件を報道する新聞記者はゴロツキノの仕事だった。
丁度この明治17年から18年頃に福神漬が命名されたのであるが周囲の様々な動きを見ていると明治時代も将来が必ずしも明るく見えなかっただろう。
イギリスで新聞記者が電話を盗聴し一般庶民向けのスキャンダル記事を書いていたことが判明した事件があった。明治日本の創生期には新聞は旧幕臣に人たちが創った新聞が多く、それなりの信条があって政府と対決する報道をしていたように思える。しかし、西南戦争後、国が徐々に安定してくると新聞記事に期待する読者層が変わり、新たに読者となった一般庶民が政治報道だけでなく、芸能・芸者情報記事が好まれるようになり、新聞報道が政論新聞から政治弾圧を避けるために、歌舞伎演劇・戯作的連続読み物と政府高官・金持ち・僧侶等の妾の記事を売り物とする小新聞が販売部数を増やした。小新聞は同時に従来の観念からはみ出た女性を攻撃することで政府がすすめる欧風文化政策を間接的に攻撃していた。当時のファションリーダーは芸者で彼女等の口コミ宣伝から福神漬が普及する事となる。次に女学生がファションリダーとなるのは明治20年代以後のことで鹿鳴館の頃は好奇心の餌食となっていて根も葉もない噂で攻撃されていた。今では史実のように語られているが殆どは虚偽の報道であると言って良い。当時の庶民向けの事件を報道する新聞記者はゴロツキノの仕事だった。
丁度この明治17年から18年頃に福神漬が命名されたのであるが周囲の様々な動きを見ていると明治時代も将来が必ずしも明るく見えなかっただろう。