年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地市場の隣の海図をつくっている所の移転

2011年12月27日 | 築地市場にて
築地の海軍軍艦操練所の遺物の移転
幕末築地には海軍近代化のための施設が作られ、明治になっても再利用され築地には海軍関係の施設が作られた。銀座にみゆき通りという名前があるが明治天皇が築地にあった海軍施設にゆくための通路であったから命名された。今では晴海通りが築地へのアクセスの本通だが勝鬨橋が開通するまで江戸時代からみゆき通り・波除神社へ向かう通りがメインストリートであった。ここを通った人の中では赤穂浪士が吉良邸に討ち入り後、築地本願寺を通り、新喜楽の所で曲がり、釆女橋を渡り泉岳寺へ向かったという。
 築地市場の水産部駐車場付近に海軍経理学校が、築地がんセンター病院のところに海軍病院があった。また海軍の学校があったのだが新橋の風俗街の直ぐ側にあったため、江田島に移転されたこともあった。
 戦争が終わり、海軍が消えても過去の遺物が築地に残っていた。その中に施設で日本の海図を作成する施設が平成23年12月で築地を去る。一度中に入って資料室を見たが訪れる人も少ないようで古い築地の様子が展示していた。東京の臨海地に移転するのだが再開した資料室にはどんな展示があるのだろうか。

「国土交通省海上保安庁海洋情報部庁舎移転
海洋情報部は、2011年12月中旬まで、東京都中央区築地5丁目から東京都江東区青海に庁舎の移転を行っています。」
不景気と国有財産の有効活用とかで歴史の重みもなく移転されてゆく。
コメント
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