昭和50年に出版された「磔(はりつけ)」という本の中にに文化5年(1808年)長崎でイギリス船が鎖国中の長崎で狼藉を働いた事件を「三色旗」という小説にしたものが入っている。幕末明治の歴史小説の多い吉村昭氏が彼の歴史小説家としてのスタートを切った「磔」「三色旗」が出た頃は4度目の芥川賞候補者落選の年だった。5度目の芥川賞候補はなかった。三色旗の意味することはオランダ国旗の事でイギリス船が旗を偽装して長崎に入った事を意味している。この事件の不始末により長崎奉行と手抜かりがあった唐津藩士が切腹している。ペリー来航時、吉田松陰が浦賀徳田屋で見聞きした記述の中で浦賀奉行戸田伊豆守と下曾根金三郎が切腹するところとなりそうな寺を掃除していると書いてあった。これはフェートン号事件の事を想定していたと思われる。
この本「磔」を読んでいると石井研堂の「缶詰の始まり」に島原の乱から記述が始まっていて千葉行徳の漬物商人喜兵衛を思い出す。
吉村昭は上野の山の下の日暮里で生まれ育った。
この本「磔」を読んでいると石井研堂の「缶詰の始まり」に島原の乱から記述が始まっていて千葉行徳の漬物商人喜兵衛を思い出す。
吉村昭は上野の山の下の日暮里で生まれ育った。