年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

南茅場町を調べる

2012年02月11日 | 福神漬
南茅場町を調べる
明治6年の南茅場町の沽券図(土地の所有者=税金を払っている人)を中央区京橋図書館でコピーする。また顔なじみの人に明治9年の南茅場町の沽券リストを見せてもらう。
 三菱(初期の会社名は異なる)の岩崎弥太郎は明治3年11月貴川田儀八所有の南茅場町18の土地を購入した。500両だった。またほぼ同時期に小西惣兵衛より南茅場町の土地を215両で購入した。(三菱社誌第一巻)しかし京橋図書館の地図では16番地の名義人は河村太郎兵衛である。三菱社誌によると名義を変更したのは明治10年2月となっている。明治7年1月9日戸村善兵衛から南茅場町24の土地を購入している。南茅場町23の土地は東京海上火災保険が発足した時の本社所在地となっている。三菱が南茅場町の土地を集中的に明治3年から明治10年ころまでに購入していたことが解る。この地は第一国立銀行ができてから金融街となりつつあった。と同時に税収の足りない明治政府が酒業界に課税を強化していたし、明治初期の東京の人口減少で不況であった。従って江戸時代から新川付近にあった酒業界の不動産が流動化したと思われる。
 南茅場町のどこかの商店で花香恭次郎が慣れない仕事を三菱が発足した頃働いていた。また福島事件を批判した浮世絵を出版した原胤昭は南茅場町49に居住していた。
 
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