年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

横浜開港50周年祭

2012年02月22日 | 福神漬
鶯亭金升日記
明治42年7月1日
横浜開港50周年祭
戸田伊豆守氏栄は余のためには祖父、亡父昌言は氏栄3男にて桂三郎は長井家に養子となり筑前守と称す。4男銕弥(てつや?)は亡父に養われて、余が縁深き、千葉県香取郡万歳村の農、花香伝右衛門の養子となり、花香恭次郎と呼ばれしが、成長の後、政界に身を投じ、河野広中と共に、福島事件を以って、名を世に知られる。

自由民権運動と黒船来航との関係がでてくる。福神漬の命名の関係を調べてゆくとこの様な事実にぶつかり、日本郵船歴史博物館の学芸員から聞いた「記録ないが多くの郵船関係者の記憶にある」事の一つかもしれない。全ては明治10年の武士の世に戻らないことが決定した西南戦争後の次代をめぐる闘争の中で生まれた。福神漬は単なる食べ物だがその普及の過程で歴史の裏事情が出てくることは漬物が日本食の脇役で弾圧の対象外だったかもしれない。
 梅亭金鵞の命名は色々な想像をかきたてる。鶯亭金升は今の感覚だと新聞社の芸能評論家と言う人で歴史研究の対象から外れていたかもしれない。
コメント
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