開国と英和辞書 評伝・堀達之助 堀 孝彦著
先週、広尾の図書館でこの本を読んでいた。ペリーが初めて日本に来た時、オランダ語通詞として浦賀与力中島三郎助と共に最初に黒船に乗り込んだ人。後に英学の辞書の編纂などに活躍した。函館では中島三郎助が旧幕府軍となり、堀達之助は青森県で事態を見守りながら西軍(官軍)側となり滞在していた。
福神漬をめぐる人物のネットワークから当時の浦賀奉行戸田伊豆守氏栄と浦賀与力との間で異国船来航の時の対応策の策定と訓練が行われていたと思われる。ペリーが浦賀に来た時にも、下曽根金三郎の指導の元、砲術訓練を行っていた。長崎よりのアメリカ船が浦賀に来るという情報に接していたが、予定されていた日からかなり経っていたので、普通ならニセ情報とみなして警戒態勢を解いても良いのだが戸田浦賀奉行は当日も久里浜海岸で訓練をしていた。
教科書で教わった突然ペリーがやってきたことではない。ある程度知っていた浦賀の人達は対処のできない幕閣に対して無念さの気持ちを晴らすことの行動を子孫に託したような気がする。
戸田伊豆守氏栄は花香恭次郎・鶯亭金升、中島三郎助は臼井家の人と中島与曽八、堀達之助は堀 孝彦氏へ、香山栄左衛門は西叶神社に海軍大尉となった長男、香山永隆が顕彰碑を建ている。
子孫は後世の人達による先祖の評価に対して異議申立てすることができる。
先週、広尾の図書館でこの本を読んでいた。ペリーが初めて日本に来た時、オランダ語通詞として浦賀与力中島三郎助と共に最初に黒船に乗り込んだ人。後に英学の辞書の編纂などに活躍した。函館では中島三郎助が旧幕府軍となり、堀達之助は青森県で事態を見守りながら西軍(官軍)側となり滞在していた。
福神漬をめぐる人物のネットワークから当時の浦賀奉行戸田伊豆守氏栄と浦賀与力との間で異国船来航の時の対応策の策定と訓練が行われていたと思われる。ペリーが浦賀に来た時にも、下曽根金三郎の指導の元、砲術訓練を行っていた。長崎よりのアメリカ船が浦賀に来るという情報に接していたが、予定されていた日からかなり経っていたので、普通ならニセ情報とみなして警戒態勢を解いても良いのだが戸田浦賀奉行は当日も久里浜海岸で訓練をしていた。
教科書で教わった突然ペリーがやってきたことではない。ある程度知っていた浦賀の人達は対処のできない幕閣に対して無念さの気持ちを晴らすことの行動を子孫に託したような気がする。
戸田伊豆守氏栄は花香恭次郎・鶯亭金升、中島三郎助は臼井家の人と中島与曽八、堀達之助は堀 孝彦氏へ、香山栄左衛門は西叶神社に海軍大尉となった長男、香山永隆が顕彰碑を建ている。
子孫は後世の人達による先祖の評価に対して異議申立てすることができる。