年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

家康の駿府における漬物話

2012年07月23日 | 福神漬

咬菜百做録 コウサイ ヒャクサロク付録編 戸田氏栄
家康が隠居後滞在していた駿府城内で女中たちが浄慶坊ほど憎き坊主がいないと口々に不満を漏らしていた。その理由は『浅漬の香の物があまりにも塩辛い』といっていて何度も苦情を浄慶坊に伝えてもいっこうに改善しないでいる。この愚痴をある日家康が聞きつけ、浄慶坊を呼び出した。浄慶坊は他の人に聞こえないように家康に耳うちしたところ、家康は笑い出し、塩加減はそのままで良い事となった。このときの家康近習衆は不審に思い、浄慶に尋ねた。浄慶は他の人に聞こえるように『大根の香の物は今までと同じように塩辛く漬けてよい』と家康から許可を得たという。家康は女中の好みの塩加減にしたら、どれだけ大量に漬物を食べるかわからない。
同様の話で駿府城常見蔵の話がある。内容は浄慶坊の話と同じで、常見という役人が塩辛い漬物を女中たちに食べさせた逸話である。

この話を戸田が咬菜百做録の付録編に載せた。天保の改革で一番節約に抵抗したのが大奥である。この付録編は節約に抵抗する大奥への過去の前例を持ち出して批判集となっている。 
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