年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

文明東漸史

2012年07月19日 | 福神漬
 
今の大分県出身の藤田茂吉という人が明治17年9月に出版した本をパラパラ読みする。深く読むにはまだ至っていない。この明治17年という時期に渡辺崋山と高野長英の名を日本史に復活させた本だった。
 さてこの本の紹介文として序文を書いた森田思軒の名前があった。森田は根岸党の一員で下谷の文化人仲間の一人で酒のつまみに福神漬の缶詰を開けていた人だった。藤田茂吉は文明東漸史を書くための史料収集を5年ほど前より行っていた。この時期に出版したのは何か意図があったと思われる。この本が出るとまもなく講談師松林伯円が『開化の.魁』を講談として講演し、また市川団十郎によって歌舞伎化され上演された。
 藤田茂吉は明治18年7月末頃には北豊島郡金杉村196番地(現台東区根岸)に転居している。出典(駆け抜ける茂吉-「先覚記者」藤田鳴鶴評伝 野田秋生著)
野田秋生さんの本から明治14年の政変から18年頃にかけての自由党と改新党の泥試合によって、国会開設を目指した政党の没落事情がよく理解できる。ここに三菱と政府支援の共同汽船の運賃ダンピング競争が加わり、福神漬の命名時期の上野下谷周辺の地域事情が加わり、複雑化してくるようになった。
 これでははっきりと歴史家が福神漬の命名を記録することはできない。しかし記憶に残っても不思議はない。明治18年10月日本郵船は発足した。

コメント (1)
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