年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

奈奈様のコメントから 2

2012年07月11日 | 築地市場にて

漬物のようなよく知られている食品でもいざ疑問を持って調べ始めると意外な事実に遭遇し、驚く。
 福神漬には『なた豆』という植物が入っている。今の日本で市販されている漬物でなた豆が入っているのは今のところ福神漬しか知らない。なぜ入っているかを調べ始めた。
 幕末から明治にかけての産物を調べた『武江産物誌』という本がある。この本によるとなた豆の産地は今の隅田川の東の地域が産地だった。また明治の初めの東京府の産物調査でもスカイツリーのある付近が産地だった。
 ナナさんは小栗上野介が好きなようだ。小栗がアメリカ土産で長井家(鶯亭金升の母へ)へワッフルという菓子を作る道具を送ったようだ。小栗上野介の住まいは今の神田駿河台の明治大学の付近にあった。その敷地内だと思うが儒学者安積艮斎の塾があった。艮斎の門人に土佐の岩崎弥太郎(三菱創業者)もいた。安積艮斎は福島県郡山出身で生誕地はJR郡山駅近くの安積国造神社だった。明治の初めのころその神社で遊んでいた石井研堂がいた。
 石井研堂の「明治事物起源」という本の中で缶詰の始まりという文章がある。この文章の中で戊申戦争の最後の戦いである五稜郭の戦闘で千葉行徳の漬物商人が戦死したという記事がある。浦賀与力でペリーが始め日本に来たとき最初に乗り込んだ中島三郎助と同じ日、同じ場所で戦死した。新撰組の土方歳三が戦死した後である。中島と土方の最後の姿をスケッチした新撰組隊士中島登という人がいた。中島登の子孫が鶯亭金升の墓の住職である。五稜郭で戦死した漬物商人喜兵衛はどうやら「なた豆」を漬けていたようだ。日暮里の浄光寺にある福神漬顕彰碑に喜兵衛の子孫山田箕之助の名がある。

 

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