借り出した本を見直し
丸の内百年のあゆみ 上巻-三菱地所社史から
三菱地所株式会社社史編纂室編
三菱は(当時は九十九商会)明治3年(1870)年11月東京支店開設のあたり東京日本橋南茅場町18番地の土地家屋を購入した。この地は関西からの酒等の荷揚げの河岸地であった。現在でも酒関係の業者の会社が付近にある。(清酒白雪の小西酒造東京支店)
三菱社誌によると貴川田儀八から明治3年11月土地家屋、12月小西惣兵衛から家屋、明治4年11月貴川田儀八から土蔵1棟、明治6年金子家吉、明治7年戸村善兵衛、林兼三郎、明治9年金田吉兵衛ほか、明治10年福島長平から次々と南茅場町の土地を購入している。
東京都中央区京橋図書館に所蔵されている明治6年と明治9年の沽券図と台帳では南茅場町18番地の所有者は小西利右衛門となっている。名義の変更はしていなかったのだろうか。
福島事件被告人花香恭次郎は父花香恭法の開業する南茅場町の商店に帳簿を管理する仕事をさせていたが素行が良くなく、明治5年5月横浜の商社へ飛ばされた。つまり三菱が東京支店を購入したとき、花香恭次郎は同じ町内で慣れない仕事をしていた。また南茅場町46番地には原胤昭の名義の不動産がある。
明治16年福島事件判決後、原が田母野、花香、平島等の肖像を書いた浮世絵(絵小林清親)を配布したのは単なる義憤ではなく、花香青年を同じ南茅場町内で一時働いていたことを知り出版したと思われる。
日本郵船は明治18年発足したとき、本社として南茅場町18番地となっている。郵船のカラーライスと福神漬のエピソードの後ろにこの様な事情が隠れていた。東京海上火災保険も南茅場町の地が発足地となっている。
丸の内百年のあゆみ 上巻-三菱地所社史から
三菱地所株式会社社史編纂室編
三菱は(当時は九十九商会)明治3年(1870)年11月東京支店開設のあたり東京日本橋南茅場町18番地の土地家屋を購入した。この地は関西からの酒等の荷揚げの河岸地であった。現在でも酒関係の業者の会社が付近にある。(清酒白雪の小西酒造東京支店)
三菱社誌によると貴川田儀八から明治3年11月土地家屋、12月小西惣兵衛から家屋、明治4年11月貴川田儀八から土蔵1棟、明治6年金子家吉、明治7年戸村善兵衛、林兼三郎、明治9年金田吉兵衛ほか、明治10年福島長平から次々と南茅場町の土地を購入している。
東京都中央区京橋図書館に所蔵されている明治6年と明治9年の沽券図と台帳では南茅場町18番地の所有者は小西利右衛門となっている。名義の変更はしていなかったのだろうか。
福島事件被告人花香恭次郎は父花香恭法の開業する南茅場町の商店に帳簿を管理する仕事をさせていたが素行が良くなく、明治5年5月横浜の商社へ飛ばされた。つまり三菱が東京支店を購入したとき、花香恭次郎は同じ町内で慣れない仕事をしていた。また南茅場町46番地には原胤昭の名義の不動産がある。
明治16年福島事件判決後、原が田母野、花香、平島等の肖像を書いた浮世絵(絵小林清親)を配布したのは単なる義憤ではなく、花香青年を同じ南茅場町内で一時働いていたことを知り出版したと思われる。
日本郵船は明治18年発足したとき、本社として南茅場町18番地となっている。郵船のカラーライスと福神漬のエピソードの後ろにこの様な事情が隠れていた。東京海上火災保険も南茅場町の地が発足地となっている。