年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

柳橋料亭の逸話

2012年10月15日 | 福神漬
静岡事件の全貌 村本 喜代作
福島事件 21頁
花香恭次郎は美男で雄弁で滔々と(藩)閥族政府を暴状を攻撃するので、毎日(高等法院)の公判傍聴人が殺到し、柳橋周辺の花柳界ではすばらしい人気で、未決監には美人連中の差し入れ物が絶えなかったと言う。

今では柳橋の料亭は消えたが相撲の横綱審議会が開催されている料亭亀清楼の伝説で福神漬が外国に行くとき持って行く食品として女将から推薦されていた。(故宮沢喜一首相の若き日の渡米前の亀清楼での逸話)
 明治の初めの花柳界は新橋と柳橋が一流であった。新橋は鉄道の駅も近く、実業家、政治家などの利用が多く、芸者さんも政府よりの支持が多かった。しかし日本橋区に当たる柳橋は江戸の気風を残していて、粋、洒落、通とかのことが好まれていた。金の力で体を売ることは良しとしない気風がまだ明治17年頃は残っていたようだ。後に書かれた芸者さんの本では『近頃の若い者は芸を磨くより、云々』と嘆いていた。昔も今も年よりは若い人たちに不満があるようだ。当時の芸者は今の感覚では芸術家と思う。
コメント
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