年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

根岸にあった八石教会(大原幽学)

2013年10月02日 | 福神漬
八石教会
荒川区の生活と福祉 荒川区福祉事業史刊行委員会
八石教会の人達は私有財産制を撤廃していて、粗衣粗食を旨としていた、男も女も一様に黒の綿服、女は無造作に結った髪に一定の櫛飾りをした。この櫛飾りを見れば八石教会の女性と知られた。池之端にあった『川しま』の主人は生粋の江戸っ子で八石教会に木櫛を納めていた。川しま主人の八石教会の思い出話。
『八石教会の人達は旧幕府をあこがれた人が多かったようで汽車も馬車もある時代に山駕籠で旅をしようとしていた人達だった。この教会を支えていた人達は質素と勤勉・博愛を主旨としていて、同時にその行動も奇妙と言えるくらい反文明の意思の強いものであった。
 根岸の地に正岡子規が住んでいたとき、斜め前の今の台東区立書道博物館のところに八石教会があった。日暮里の古老の思い出話では『たどん作りのちょん髷の一群』を見かけたという。
記録から八石教会が根岸の地に出てくるのは明治12年12月から現れて、明治35年から36年頃売却されたようだ。
明治15年6月
 東京府下金杉村186 静岡県士族佐藤為信所有地に協会設立の願い書が出て、明治17年2月頃建築されたという。

今では江戸から明治中期までの根岸の気風は残るものがないが旧幕府を慕う人達が多数住んでいた。
福神漬を語った長井総太郎少年は根岸の地に明治7年から20年代初めまで住んでいて、何か知っていただろう。ほぼ同時期に根岸党も活躍していた。また根岸に居住した正岡子規が新聞日本に所属していた時期は、神田雉子町32番地に長井総太郎(鶯亭金升)の團團珍聞と同じ敷地内に新聞日本があった。
コメント
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