年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日本武尊と聖徳太子を除くと

2013年10月07日 | キムチ
戦後発行されたお札の肖像で日本武尊と聖徳太子を除くと福神漬の色々なエピソードを調べてゆくうちに関係もしくは多少の縁がありそうだ。今は100円札の肖像であった板垣退助を調べている。通販サイトアマゾンより古書が届いた。3冊850円の自由党史である。広尾の図書館へ行く電車代の節約となる。
 明治の自由民権運動は福神漬の資料調査で気になっていたのだが調べてゆくうちにキムチの歴史の方に関係しそうである。明治18年(1885)大阪事件から朝鮮関係の本格的関係の始まりとなる。この頃の日本の葉物漬物は江戸東京では三河島菜であった。白菜が日本で本格的に栽培されたのが明治の終わり頃である。明治の中頃では日本への大陸からの留学生は少なく、キムチなどはごく稀だったと思われる。記録もまだ見つからない。
 アブラナ科の白菜は交雑しやすく、明治日本ではすぐに交雑して白菜とまるで違う野菜となった。明治の終わりころ日本で白菜の種子が安定して採取出来るようになると、その味の良さから江戸の伝統野菜であった三河島菜という漬け菜が消えてしまった。今は絵でしか見ることが出来ない。

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