月島の知り合いのところで石川島人足寄場跡を探すと言ったら、石川島資料館があると教えてくれた。ただ毎日開いているのではないと教えてくれた。とりあえずリバ-サイドマンション1階にあるが解りにくいと教えてくれた。
隅田川沿いに出ると石川島灯台が見える。対岸のところまでかなり遠い。ここを明治17年3月の大潮のとき、新潟県高田事件の犯罪者として拘留されていた自由民権家赤井景韶は石川島監獄を脱獄した。大潮で浅くなった隅田川を歩いて対岸へ行ったという。この当時の隅田川の水深の浅さは服部撫松の築地居留地の文章に出てくる。築地が外国人居留地となったが隅田川の水深の浅さから直接船から荷揚げすることが出来ず、鉄道開業後、外国人商人が横浜に戻ってゆき、築地にキリスト教関係の学校だけが残ったという。このことが福神漬資料に出てくるのが福神漬のエピソ-ド調査の初期には何故出てくるのかがわからなかった。