年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

大学入試センタ-試験問題の国語から

2014年01月20日 | 福神漬

オンラインのデ-ターが送られる迄時間があったので新聞を読んでいた。センタ-試験問題国語の第一問の文章に惹かれた。『18世紀から19世紀に幕府の教学制度が整備されて・・・・・』漢文を読み書きする行為が士族階級から日本全国に広まったという。
 問4の正解をみる。近世後期の武士は武芸の典型としての刀を忠義の精神の表れとみなし・・・・ 
 幕末から明治にかけて生きた元幕臣の心に『刀』というものがどのようなことを表すのかがよくわからなかったがこの試験問題で何とか刀の問題が理解できるかもしれない。漬物の福神漬に入っている『なた豆』は漢字で書くと刃豆となり刀という文字が入る。戯作者梅亭金鵞は柳剛流の剣術を父から習った剣の人でもあった。梅亭が池之端の酒悦主人から缶詰入りの漬物の命名を依頼された時、既に3種類の野菜が入っていた。その中には『なた豆』があった。このなた豆の入れた理由を酒悦主人から梅亭が聞いたと思われる。福神漬顕彰碑の裏に刻まれている山田箕之助の名は何を語るのだろうか。梅亭は戊辰戦争最後の戦闘で浦賀与力中島三郎助と共に死んだ『行徳漬物商人喜兵衛』を知っていたのだろうか。山田箕之助は喜兵衛の親族である。出典石井研堂『明治事物起源 缶詰の始まり』より
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