年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

大江戸を考証する 稲垣史生著

2020年12月22日 | 福神漬
ずいぶん昔に買った本で処分の箱に入っていたのを最後の閲覧をする。江戸時代の上野界隈で香煎茶屋が3軒(酒袋・酒好・酒悦)あった。酒悦の他の店はすぐに忘れただがこの本に載っていた。香煎とは麦焦がしの別名で大麦を煎 (い) って粉にしたもの。砂糖をまぜてそのまま、または湯に溶いてから食べる。また落雁 (らくがん) などの菓子の原料にする。はったい。はったい粉。香煎 (こうせん) 。煎り麦。酒が飲めない仏事に用いられる。
 三代将軍家光の時代から皇族の皇子が門主となり輪王寺宮と称されるようになった。彰義隊の上野戦争時は十五代公現親王皇・後の北白川能久親王だった。酒悦はいつの時代かは解らないが輪王寺宮から店名をいただいたと言われる。
 上野広小路の所に不忍池から江戸湾に流れ出る川に橋が架かっていた。三枚橋と言う。芝居の佐倉義民伝の将軍直訴の場面はこの三枚橋の下に隠れていたことになっている。また上野物という歌舞伎の上演目の中で河内山宗俊の物語も寛永寺の御数寄屋坊主の話である。
 福神漬はいわれなどを創作した漬物ブランドでその隠しメッセ-ジは明治18年頃の下谷上野の気風を知らないと本当の隠しメッセ-ジを理解できない。
 隠しメッセ-ジとは親幕府反薩長で非新政府(不平将軍)だろう。
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