年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

嘉永3年末の高野長英捕縛死の遠山金さんの判決の謎

2020年12月25日 | 宅老のグチ
 高野長英が嘉永3年10月末に江戸市中潜伏地にて南町奉行(遠山景元・金さん)配下の与力たちに逮捕されようになった時。一応自死という事に歴史学者は書いてあるが長英の評伝を書いた鶴見俊輔氏によると与力たちに撲殺されたという。生け捕りが基本の江戸時代の逮捕術では殺してはいけないことになっていて、異例の展開と思われる。さらに高野を匿う家を手配した関流和算家内田弥太郎(五観・観斎)も処罰されないで、浦賀奉行所に復帰した。当時の町の情報を集めている藤岡屋日記にも高野の逃亡を手助けしたのに事情聴取されただけで放免はおかしいという記述がある。内田は長英死後にも浦賀で下曽根金三郎の下で働き、ペリ-来航時には浦賀奉行戸田氏栄から慰労金が出たようだ。長英があと二年逃亡が続いていたらどう遠山は判断したのだろうか。
遠山桜天保日記という歌舞伎は明治26年11月の上演された。この歌舞伎は遠山の金さんの本で知ったのだが何か引っかかることがあって築地の大谷図書館で再度調べる。
 大谷図書館で在庫のある歌舞伎新報は明治26年末は無かった。あったのは明治27年1月で既に1月の劇評しか載っていなかった。さて明治26年11日月の劇評は都立多摩図書館で見ることが出来るが果たしてどんな上演評があったのだろうか。明治27年の1月の歌舞伎新報の編集者らしき人たちは尾崎紅葉・幸田露伴・三木竹二・森鴎外等の名前が見える。根岸党の竹の舎主人(饗庭 篁村/あえば こうそん )11月の歌舞伎の劇評を見るには都立中央図書館の朝日新聞縮刷版を見ればわかるかもしれない。
 明治26年11月22日 朝日新聞 竹の屋主人劇評で明治座上演中の遠山桜天保日記の評が始まる。23日25日28日と4回にわたって劇評があったが犯罪者が自力で更生したのを評価した形跡は見えなかった。見落としなのだろうか。フランスのデュマの巌窟王の翻訳(黒岩涙香 )は明治の30年代以降でまだ日本ではあまり知られていない話だ。今は巌窟王という小説はレ・ミゼラブルという名の小説で知られている。冤罪で牢獄生活を送り、脱出し、世間に戻る。
 遠山桜天保日記の疑問点は作者竹柴其水の筋書きの取材を誰が受けたのだろうか。歌舞伎の台本の中で成田・飯岡助五郎・河原崎座・新潟等の天保の時代背景を元に構成されているが明治のころにフランス小説が翻訳で日本に入ってくる時期とどう重なるのか気になる。黒岩涙香の巌窟王は1901年・明治34年なので筋書きの情報は無かったと思われるがどうなのだろうか。新潟の場面は初代新潟奉行と遠山景元の交流を示し、さらに天保の改革で江戸の経済が落ち込んでいて、北前船と薩摩からの密貿易品で潤っていた新潟を持ち出し、水野時代を批判していた。
 この様な疑念を持ったのは遠山の判決の流人が八丈実記に記載されていないので、どこかで松下寿酔・宮城信四郎は改名して生き延びたのだろうか。犯罪者でも有用とならば江戸時代でも生かされたのだろうか。ただ放火は江戸市民の財産を焼失する大罪で生かしておく方針を与力たちが感じて撲殺したと推理する。高野の放火と江戸市中潜伏を見逃したら与力のメンツが保てない。
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