年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

14歳の夏 から

2020年12月05日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
台湾生まれの中田芳子さんの著書から陸軍飛行204戦隊の特攻隊員は漏れなく、遺書を書いていたようだ。叔父だけが書かなかったという事は無い様だ。この本を読むまで叔父の遺書が無いのは書かなかった。(稀にあるらしい)生みの母が地域の事情で女には学問がいらないと育てられ、文字が読めなかったので書かなかったと思っていた。しかし他の人に読んでもらえば良いのであって遺書が無いという理由とはならない。結論として遺書はあったが何らかの理由で写真を除いて処分されたと思われる。
 其の何らかの理由とは何だろう。
この謎解きはチョット厄介と思う。時の情勢判断が叔父の周囲の人を巻き込んだ気がする。遺品はなぜ処分されたか推測し、調べるしかない。

父の写真帳の中に軍隊時代の写真が多数ある。どんな順序か解らないが位置的には叔父の特攻の最後の宴会写真は終戦後に同期の人が叔父の実家を訪問し、手渡しでもらったものと推測できる。台電クラブ(花蓮港?)というところの広間で5月20日の特攻隊員を中心として、歌を歌っている雰囲気が感じる。前列の中央付近には叔父がいてこの時点では特攻作戦の隊長となっていたようだ。特操1期生史では小林少尉の遺書の全文が掲載され、叔父の遺書が無いのが不思議だった。中田芳子さんの主人となった人は後列にいて、タオルを首にかけている人だった。暑かったのだろう。204飛行戦隊隊長は軍服を着ていたが叔父らの特攻隊員はシャツ姿で堅苦しい宴会雰囲気はない。感じとして5月10日ぐらいと推測する。この宴会に14歳の女子学生として参加し、宴会を湿っぽくしなかった中田芳子さんの功績かもしれない。
 万世の特攻隊員の子犬を抱いて笑みを浮かべている写真は今でも印象に残るが子犬は死の不安を紛らわせる。
コメント
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