年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

算数の筆算のはじまり

2024年10月15日 | 宅老のグチ
JR王子駅の付近には飛鳥山公園のほかに多くの観光地がある。
そこを歩きまわっている時に順天学園という高等学校を横目に見ながら、ここが福田理軒の作った学校と思いながら、通過した。そこで検索で気になった順天学園の創立155年の学校史の本を手に取り読むと自分が気にしていた明治改暦の件は無く、どちらかというと大坂が学校の発祥地の事が書かれていた。日本でも比較的に古い私立の学校のようだ。順天学園の学校史の本によると、順天の名称が付く有名なところとして、順天堂大学・津村順天堂・桃谷順天堂があって、津村順天堂はいま漢方薬のツムラと名称が変わり、桃谷順天堂は明色化粧品となり、肌荒れの化粧品を主力としている100年超えの化粧品会社で主力商品はニキビのケアの様に見える。この中で順天の名称がついていて、医療と全く縁がなさそうな順天学園が気になり、福田理軒の本を探すと、図書館で一冊出てきて読む。
 筆算を広めた男 幕末明治の算数物語 丸山健夫著
江戸時代の大坂で適塾の緒方洪庵と並ぶほど有名だった順天堂という算学塾の塾長・経営者が福田理軒であった。彼は暦の関係で江戸時代の最先端の学問を取り込みながら、算学の研究・教育・出版までの総合的な仕事をしていた。
 自分的には明治期以後の順天学園の発展史の方が気になっている。多くの私立の学校は戦後に生徒の急増、急減という状況で、戦前から対処に追われている。公立の学校は地方では空き校舎となり、税金の使い道で転用が難しく放置されている所がある。墨田区を散歩していた時、学校が統合され、跡地に特別養護老人ホ―ムとなっていたのをみた。これからは保育園より高齢者施設だろう。それも幼稚園のような老地縁というべきだろう。

 福田理軒の和算の改良はソロバンの計算から、筆でも計算できる方法という。漢字の数字の計算より、洋数字の位取りを考えた筆算の方が計算しやすい。ソロバンは商人の計算と思う。明治の改暦の逸話は江戸時代に基礎ができていて、急に西洋の学問に追従できた日本の和算家のすごさを感じる。明治の国の税収を確定する土地制度の測量は今でも使われていて、精度の良さで驚く。
 日本の天文学が中国から離れたのは宝暦13年・1763年9月1日の昼間に日食があったことから始まる。月初めの日は幕府の行事があって、日食等の事がある時は行事の時間をずらしていたという。ところが市井の学者が日食があると予報し、幕府に通告しているにかかわらず、朝廷・幕府の御用の土御門家・天文家は無視していた。ここから日本の暦の改良が始まり、西洋の天文学から他の学問が日本に入る。しかし、キリスト教との絡みで揺れている様子が日本史でも見える。西洋の学問の底流にはキリスト教思考があって、純粋に学術輸入といえないもどかしさが長崎にあった様子が見える。
 戦後の順天学園の発展史は女子教育の発展史の変遷と見える。下町の女子教育を衣服・食の学校とし、女子教育の変化に対応しつつ、今の学園になり、さらに共学となり、国際交流を目指している様子が見える。ここが本当の福田理軒の遺産といえる。変化を知り、それに対処する姿勢が学園経営者の歴史本と見ることが出来る。

 なお順天百五十五年史は都内の図書館の20館で蔵書があって、さらに隣接県にもありそうだ。経営者の営業努力を感じる。
 
コメント
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