年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

JR品川駅の食肉市場祭りへ19/20日

2024年10月20日 | 宅老のグチ

都営浅草線に乗っていた時、電車内の広告で、食肉市場の祭りの広告があった。この市場の位置は隣接する道路でトラックに乗った生きた牛と目があって、その日は肉類を食べることが出来なかった記憶がある。前から食肉市場のな中の様子が気になっていて、一度入って食肉市場の広報というべき施設に入って見たいと思っていた。大江戸線大門駅に東京都の人権プラザという大きな広告があって、2度ほどキムチの歴史を調べるため、朝鮮人問題の本がどれだけあるか見るために人権プラザの図書室に入ったら、図書室の中に色々な人権問題の本があって、食肉に携わる人たちの差別問題もあった。何冊か気になった本を読むと、自分自身も差別・区別等の行為をしたり・されたりしている様子が見える。多くの差別発言をしている人は違う場所の少数派の所となると差別される立場となる。今の中国で日本人はその存在が知られると危険であるが、その日本人でもアメリカでは中国人ヘイトで日本人・韓国人も狙われる。アメリカには銃がある。日中韓は刃物の世界で、今は車で無差別売名攻撃がある。日本の事例では秋葉原の事件である。
 そんなことを思い出し電車のつり広告を眺めていて行って見ることにした。シルバ-パス利用で品川に行くには、バス便が良いのだが多くは品川駅北口で南口のバスは八潮の方に行くのが多いと思っていて、高輪台駅から歩いて行って見たらと思い、ダラダラと品川駅に向かった。品川駅でふと思ってのだが自由通路はあったのだろうか。・人の流れで行くといつの間に自由通路を歩いていて、新幹線品川口を過ぎると南口に出た。そこから下を眺めるとテントが林立していて、食肉市場祭りの景品交換所のようだった。勘で歩るいてゆくと、福神漬の酒悦の親会社の東洋水産の本社があった。港区港南というのは品川駅前だった。昔は品川駅南口は北口と違って何もない町であった。今は南に食肉市場と日本に滞在している外国人のビザ更新の入国管理の施設がある。
 食肉市場のビルに着くと、列を作った人の流れがあって、どうやら行列で最後尾を探した。行列が動いていたので気にはしなかったが、高輪台から40分くらいで入場となった。多くの人がいたがやはり食肉市場は温度管理が衛生管理の基本ですべて低温管理の様子が見える。入り口付近の所のテントからナメシ皮の臭いがあって、革製品の靴などが販売していた。
 何か今年の肉ののぼり旗は仙台牛で年々変える様子が過去の映像で見える。地域のブランド牛の時代なのだろう。新聞では和牛の消費の低迷という。高すぎる飼育コストが消費を抑えていて、輸入牛肉も為替で低迷で、鳥もインフルエンザの問題で大変そう。やはり肉は温度管理と衛生問題で一期に不況となるギャンブル食品と感じた。
 ネットで昨年の食肉市場祭りのデ―タでは16000人ほどの人出のようだった。今年は19・20日の天気次第だが20000人は固いと思う。
 同じ日程で日本橋のべったら市がある。昨年は10万人の人出だった。11月3日は豊洲市場の移転後6年で落ち着き、初となる市場祭り。東京都はどの位の人出の予想しているのだろうか。20万人もあると思う。ただ築地と違って車の駐車場は無いし、バス便は渋滞なのでユリカモメしかない気がする。野次馬の自分は晴海フラッグの現状を見て、歩いていくことを考えている。
コメント
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