年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

雨漏りの工事

2007年08月16日 | 築地市場にて
築地市場の休市日に工事
普段出来ない工事を連休中に行います。大家さんの東京都に頼んで雨漏りの工事です。酸性雨の為かコンクリートが溶けて再結晶して石灰のツララが出来ます。まるで鍾乳洞のようになります。信じられないでしょうが雨漏りは酷い。築地市場では雨のあとNTTの故障工事の人が忙しい。雑音が酷い・
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ホテル需要で

2007年08月15日 | 築地市場にて
ホテル需要で
帰省で東京が空くと思っていたら今は観光地化していて,例年ならヒマになるのに築地市場は都内のホテル需要でそこそこ忙しい。一極集中がますます進んでいくことか。それにしても場内のすし屋の混雑は夏枯れと無縁でいつもと同じ行列。
 さて15日から17日までは築地市場は休市で営業しているのは場外市場のすし屋のみでしょうか。
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夏は茄子の漬物

2007年08月14日 | 趣味としての漬物
夏は茄子の漬物
茄子は夏の野菜で大阪の水茄子などは小売価格で一個5百円近くなっていて高級果物のようである。水茄子。丸茄子。民田茄子等々数ある茄子の夏の漬物の王様。
茄子は江戸時代には高価な促成栽培の野菜でした。その高価のせいで『早造り』の研究がさかんとなりました。今の江戸川区砂町では江戸市民のゴミを集めその発酵熱と油紙で蓋い冬に茄子を出すように研究しました。日本各地に茄子の品種が多いのは高価格のせいです。
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旧盆休み

2007年08月13日 | 築地市場にて
旧盆休み
昔はといっても商店が繁盛していたときは旧盆にはほとんど商店が休みでした。今では年中無休のスーパーやコンビニで育ちすぎた胡瓜の販売先となります。昭和30年代はこの時期になると漬け込みの胡瓜が大量に入ってきて漬けていました。なら漬用のシロウリの種取は大変でした。下粕を漬けて樽に詰ます。4斗樽(約60L入り・60kg)に入れて、鏡蓋を打ち付けて何段にも重ね積み上げます。沢庵と違って重石はありません。もう50年も昔の東京でなら漬を造っていた時の話です。今では人件費や環境問題(主として排水問題)で東京では漬物製造には向きません。何れ消えるでしょう。
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食料自給率39%に

2007年08月12日 | 宅老のグチ
食料自給率39%に
最近中国生産の食物に関して様々な報道がなされて、国産の漬物の要望が多い。しかし我々は一過性の騒動で終わると思っている。今だ食品のバイヤーは低価格志向が強く、安全安心を国内産で求めると高価格になることは分かっていない。単に安く出来ないのでないのでなく関連した業界が長い不況で破壊されているのである。
 食料自給率39%になっても中国から食品が安価に輸入できなくなるまで自覚しないであろう。目先の売り上げ確保と対前年比に対する業績向上しかない人はこれから苦労するだろう。人口が減ると言うことより高齢者の人口増大はカロリー減少が増えていることである。食の量が増大して売り上げを増やすことは太目の人を増やすことになる。
 ダイエット食品が高価で販売されている現状はどう考えているのだろうか。ラブレ菌の入っている『すぐき』という漬物はやせると言われて急に売れ出した。
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東京湾大華火祭

2007年08月11日 | 築地市場にて
東京湾大華火祭が
8月11日は天気が良ければ築地市場で残業すれば、東京湾の花火が見えます。勿論築地市場は立ち入り禁止ですので残業の役得でしょうか。隣の共同テレビが入っている浜離宮パークサイドプレイスビルのほうが良く見えそうですが音はどうでしょうか?隅田川の花火のほうが有名ですがかなりの人出で混雑します。気をつけて出かけてください。
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べったら市と堀留繊維問屋の関係

2007年08月10日 | べったら市
白石孝著  日本橋堀留 東京織物問屋史考より
べったら市の歴史を調べる内に日本橋繊維問屋界の状況を知らねばなりません。
この本には明治時代の大伝馬町付近の織物問屋の経営状態が理解できます。
明治になると大伝馬町の木綿問屋から洋反物を扱う近江出身の堀留問屋界が出来・発展してくる。
 くされ市と呼ばれていたべったら市が江戸時代の木綿問屋の多かった大伝馬町から明治の中頃から発展してきた堀留町の洋反物(モスリン・金巾)を扱う問屋の発展と共にくされ市がべったら市と変わってきたように思われる。明治末期の露店商出店の多さは堀留町界隈の繁栄状況を示していている気がする。
 日本のファッションの歴史はあまり良く知りませんが明治の終わり頃までは和装が生活の中心であったように思われます。モスリンとは「羊毛の単糸の平織物」をいう。薄地で柔らかく、主として着物のじゅばん、はんてんなどに用いられている。雪の多い地方で需要が多かった。
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べったら市の記事捜索

2007年08月09日 | べったら市
べったら市の記事捜索
100年も前の日本橋大伝馬町付近で開かれた市を新聞記事によって追求する途中で色々なことが判ってくる。
 夷講・恵比寿講・ゑびす講・戎講・蛭子講・エビス講・えびす講・恵比須講等出てくる。デジタル検索では一字でも違うと出てこない。
 明治の新聞は横浜の開港資料館にかなり所蔵してあるので、基本的な調査は此処で行なう。更に近所の新聞博物館にてマイクロフィルムで探す。しかし読売新聞はデジタル化してあるので記事検索のテクニックと語彙の知識が必要となる。どうも読売新聞のデジタルの検索キーワードは癖がある。これは後に江戸東京博物館で読売新聞のマイクロフィルムを明治中頃から大正11年まで探して「べったら市」の記事が出て来た。デジタル検索では出なかったべったら市の記事である。
 明治の頃の記事はべってら市が終わった20日にか21日に出ていて浅漬大根の相場が出ている。大正になると前日頃に記事が出ていて露天商の地割りや所轄の警察の警備状況が報道されている。昭和に入ると予告記事であっさりしている。
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大正10年10月19日読売新聞

2007年08月08日 | べったら市
大正10年10月19日読売新聞
近づく年の暮れ今日はべったら市 浅漬は出来が悪い
年中行事として今も残る年の市の初めのべったら市はいよいよ今日19日で.18日堀留署では市の区域の通旅篭町、大伝馬町、小伝馬町、小伝馬上町、通油町一帯の縁日商人に地割を行い、当日は万一を警戒し各警察署から百名の応援を求め、これを三個小隊に組織して警戒にあたる一方大伝馬町の恵比寿の宮、杉の森の杉の森の神社でも福守と福財布を授与する。なおべったら市の名物の浅漬大根は出来が悪く昨年より一~二割方高い。
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大正7年10月21日読売新聞

2007年08月07日 | べったら市
大正7年10月21日読売新聞
浅漬の美しく食べる方法
指原乙子女史談
お漬け物の美味しいのが無くてはなりません。あさ漬は大樽に70本位漬けなければならないので、チョト素人には面倒ですが塩二升をいれ、水が上がったら捨てて漬けて置きます。ことに美味しくするには麹10枚、塩一合それに加えザラメ砂糖200匁位入れれば結構です。大阪漬は大根の茎と葉を離し、一尺二三分の輪切りとし、葉のほうは細く刻んで大根と混ぜ。塩を握り振りながら漬けます。また漬菜は茎や葉の泥を良く洗い水気を取り小樽にいっぱいなら、一握りの塩を振りながら漬けまして、塩の分量は10株に対する三分。水が上がったら塩を軽くし二晩位経てば食べられます。冬まで持たせようとするとならば塩と糠を入れます。

江戸時代でも明治でも戦争前は漬け物は基本的には購入するものでなく各家々で造る物でベッタラだけ大量に作ると変質するので買う必要があったのではないでしょうか。

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大正6年10月19日読売新聞

2007年08月06日 | べったら市
大正6年10月19日読売新聞
べったら市は夷講の夜宮
20日が夷講
10月の19日はべったら市で伝馬町堀留町辺りは浅漬の市が立ちます。昔は若い者などが一杯機嫌でこの浅漬を振り回して若い娘などを追いかけて粕などを塗りつけたりしました。ベッタリ付くからべったら市というそうで、昔は大伝馬町に呉服の市が立ち
▲ 維新前頃は伝馬町通旅篭町に市が出来て翌日使う浅漬・掛鯛・お宮を買ったそうです。どうして浅漬を売り出すようになったか分かりませんが、まあ売り出してみよう位のことから売出し始めたろうの事です。翌20かは夷講ですが
▲ べったら市は夷祭り夜宮 で年の市の始まりですなのです。一体恵比寿様は商売の神様で夷講は大分古くから行われたそうですが、江戸では正月の20日と10月の20日で商売の繁盛を祈り報恩の意を表するため商家では朝から店を休み神饌を飾り供物を供え取引先を招待して
▲ 神前に饗宴 を催したそうで、今でも伝馬町堀留町の旧家では共通してますが、日露戦争後止めた家や内々の祝いだけにして客を呼ぶようなことだけは止めた家もあるようです。伝馬町のある老舗の神饌の飾りつけは次のようです。まず店の正面の棚に千両箱を良きほどに積み重ね家の紋と
▲ 夷様の紋 を染めた紫地の幕を張り、奥に恵比寿様のお宮を安置しその横に一対の榊と錦手の徳利に奉書を巻いて栓にして一対の神酒を置き、前には当日第一のお供物である掛け鯛を大皿に乗せて供え、大土器に飯を山盛りにし他物と白味噌の汁をあげます。そのほかには季節の果物や菓子をあげます。またお客の膳部は一汁七菜だそうですが、家々によって皆違うそうです。
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大正3年10月18日読売新聞

2007年08月05日 | べったら市
大正3年10月18日読売新聞
ベッタラ市
明19日は日本橋区大伝馬町一丁目旅篭町のべったら市なるが当夜付近町内大店向きはいずれも恵比寿講を催し祝祭を行なう筈にて右恵比寿神の霊像は大伝馬二丁目新道の宝田神社内に安置しあり、昔日はこの市に来集する者は必ず参詣して御影を受けて福徳円満を祈るを例とせり。

今の新年の初詣と同じ感覚で夷講があったのだろうか。
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明治40年10月20日東京朝日新聞

2007年08月04日 | べったら市
明治40年10月20日東京朝日新聞
恵比寿について 清水清風翁談
恵比寿は関西が本場で大黒が関東に極まっているのが面白い。九州なども恵比寿を祭ることは中々盛んなもので、路傍などに石の恵比寿が沢山祭ってある。○関東の恵比寿というと深川の恵比寿河岸にたった一ヶ所あるばかり、その代わり恵比寿大黒と組んだものなら何処にも転がっている。深川の恵比寿(深川区数矢町)を除いても単独のものというと向島と谷中の七福神であろう。それも別に祭ってあるというものの、つまり七福が連帯なのだから、おお威張りの恵比寿とはいえないのだ。△少し毛色の変わっているのは瀬戸物町の恵比寿大神、しかしこれも福徳稲荷の合神でただ相手が大黒でないというばかり。要するに関東は大黒の縄張り地であるのだ。中略△恵比寿でチョッと面白く感じたのは以前大伝馬町に亀屋和泉という菓子屋があった、べったら市の当日柏餅を売出し景品として団扇を配ったがその絵は直信の筆で今の恵比寿ビールの商標とちっとも違いはない。△またこのべったら市が恵比寿宮も何にもない、大伝馬町辺りに開かれるのは理屈に合わないようにだが、付近は大店揃いの所から,この市が立つようになったものらしい。途中略△二十日の恵比寿講というと以前は中々盛んなもので、自分の小僧時代などでは一年中で一番楽しみな日であった。家々によって顧客や懇意の人を招いて盛んに供応したものである。△式が済むと山のように積んだ雑貨の福引やせりをやる。その呼び値も一万両とか言って、真面目な顔をしてソロバンを弾く所がいかにも面白い。然れば商人が馬鹿な価格を吹くのを恵比寿講商いと言う。今の若い人はチョット分からないと思う。

深川の恵比寿神は今の江東区富岡にある。昭和6年、従来の富岡門前町と数矢町などいくつかの町を合わせてできた(数矢町は江戸時代浅草の三十三間堂がこの地に移り、遠矢の数を競い合ったところからその名がある)。
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大正2年10月20日読売新聞

2007年08月03日 | べったら市
大正2年10月20日読売新聞
昨夜のべったら市
昨日は日本橋小伝馬町のべったら市にて各商人は早朝より地割りに着手し、夜に入りて非常なる雑踏を呈したるより、堀留署にては同町の祖師堂内に臨時出張所を設け警戒せり。例により浅漬の匂いは電車の中にもあふれたり。
電車とは東京市電のこと。小伝馬町付近は市電の便が良かった。
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農相辞任

2007年08月02日 | 築地市場にて
梅雨明け
梅雨明けと共に「農水大臣辞任」のニュース。築地市場は都知事の管轄であるが主な書類は農林水産大臣にも提出しなければなりません。提出時に在職の大臣名を確認する必要があります。予め作っていて提出時に大臣の名前を再確認。
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