大正6年10月19日読売新聞
べったら市は夷講の夜宮
20日が夷講
10月の19日はべったら市で伝馬町堀留町辺りは浅漬の市が立ちます。昔は若い者などが一杯機嫌でこの浅漬を振り回して若い娘などを追いかけて粕などを塗りつけたりしました。ベッタリ付くからべったら市というそうで、昔は大伝馬町に呉服の市が立ち
▲ 維新前頃は伝馬町通旅篭町に市が出来て翌日使う浅漬・掛鯛・お宮を買ったそうです。どうして浅漬を売り出すようになったか分かりませんが、まあ売り出してみよう位のことから売出し始めたろうの事です。翌20かは夷講ですが
▲ べったら市は夷祭り夜宮 で年の市の始まりですなのです。一体恵比寿様は商売の神様で夷講は大分古くから行われたそうですが、江戸では正月の20日と10月の20日で商売の繁盛を祈り報恩の意を表するため商家では朝から店を休み神饌を飾り供物を供え取引先を招待して
▲ 神前に饗宴 を催したそうで、今でも伝馬町堀留町の旧家では共通してますが、日露戦争後止めた家や内々の祝いだけにして客を呼ぶようなことだけは止めた家もあるようです。伝馬町のある老舗の神饌の飾りつけは次のようです。まず店の正面の棚に千両箱を良きほどに積み重ね家の紋と
▲ 夷様の紋 を染めた紫地の幕を張り、奥に恵比寿様のお宮を安置しその横に一対の榊と錦手の徳利に奉書を巻いて栓にして一対の神酒を置き、前には当日第一のお供物である掛け鯛を大皿に乗せて供え、大土器に飯を山盛りにし他物と白味噌の汁をあげます。そのほかには季節の果物や菓子をあげます。またお客の膳部は一汁七菜だそうですが、家々によって皆違うそうです。
べったら市は夷講の夜宮
20日が夷講
10月の19日はべったら市で伝馬町堀留町辺りは浅漬の市が立ちます。昔は若い者などが一杯機嫌でこの浅漬を振り回して若い娘などを追いかけて粕などを塗りつけたりしました。ベッタリ付くからべったら市というそうで、昔は大伝馬町に呉服の市が立ち
▲ 維新前頃は伝馬町通旅篭町に市が出来て翌日使う浅漬・掛鯛・お宮を買ったそうです。どうして浅漬を売り出すようになったか分かりませんが、まあ売り出してみよう位のことから売出し始めたろうの事です。翌20かは夷講ですが
▲ べったら市は夷祭り夜宮 で年の市の始まりですなのです。一体恵比寿様は商売の神様で夷講は大分古くから行われたそうですが、江戸では正月の20日と10月の20日で商売の繁盛を祈り報恩の意を表するため商家では朝から店を休み神饌を飾り供物を供え取引先を招待して
▲ 神前に饗宴 を催したそうで、今でも伝馬町堀留町の旧家では共通してますが、日露戦争後止めた家や内々の祝いだけにして客を呼ぶようなことだけは止めた家もあるようです。伝馬町のある老舗の神饌の飾りつけは次のようです。まず店の正面の棚に千両箱を良きほどに積み重ね家の紋と
▲ 夷様の紋 を染めた紫地の幕を張り、奥に恵比寿様のお宮を安置しその横に一対の榊と錦手の徳利に奉書を巻いて栓にして一対の神酒を置き、前には当日第一のお供物である掛け鯛を大皿に乗せて供え、大土器に飯を山盛りにし他物と白味噌の汁をあげます。そのほかには季節の果物や菓子をあげます。またお客の膳部は一汁七菜だそうですが、家々によって皆違うそうです。