年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市と堀留繊維問屋の関係

2007年08月10日 | べったら市
白石孝著  日本橋堀留 東京織物問屋史考より
べったら市の歴史を調べる内に日本橋繊維問屋界の状況を知らねばなりません。
この本には明治時代の大伝馬町付近の織物問屋の経営状態が理解できます。
明治になると大伝馬町の木綿問屋から洋反物を扱う近江出身の堀留問屋界が出来・発展してくる。
 くされ市と呼ばれていたべったら市が江戸時代の木綿問屋の多かった大伝馬町から明治の中頃から発展してきた堀留町の洋反物(モスリン・金巾)を扱う問屋の発展と共にくされ市がべったら市と変わってきたように思われる。明治末期の露店商出店の多さは堀留町界隈の繁栄状況を示していている気がする。
 日本のファッションの歴史はあまり良く知りませんが明治の終わり頃までは和装が生活の中心であったように思われます。モスリンとは「羊毛の単糸の平織物」をいう。薄地で柔らかく、主として着物のじゅばん、はんてんなどに用いられている。雪の多い地方で需要が多かった。
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