年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

マイケル・サンデルの『正義』という本

2010年06月15日 | 築地市場にて
今週はこの本を読むこととなる。日曜日の夕方6時の番組を見、録画していたのだが実際は理解することが難しかった。やさしい例題がどれも究極の選択で日常おこりえる問題でもあった。先日の問題でも『ある大学生が同じサークルか寮の仲間が試験で不正行為を行っていたとき、大学当局に内部告発するか?』という例題があった。ハーバード大学の学生のほとんどが告発しないという。このことは正義に反しないのかということを議論していた。昨日北海道教職員組合幹部による違法政治献金の判決があった。有罪となった。組合の意思を反映する議員を支援するため、民主主義のルールを破って献金されることは許されるか?もし内部的に許されるなら他の団体だって政治献金することも許されるようになって、法の存在すらいらず、当然法の保護も受けられない。
 しかしこのような問題よりも会計帳簿を隠した、もしくは処分したことがより重大な問題である。このことは政治献金より重大であることは裁判官より指摘されていた。被告人は組合員の金がススキ野で性事資金をつかったと攻められても領収書も帳簿も無ければ説明不能である。組合員よりも被告人の家族・親族・子孫に対してどの様な言い訳をするのだろうか。
 今食品の偽装表示の問題から、世間の論調は偽装と同時に嘘の答弁したことが問題となっている。大関琴光喜の野球賭博事件も嘘の証言が問題となってきた。マイケル・サンデル教授はどの様な回答をすることが『正義』なのだろうか。
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梅雨入りなのに

2010年06月14日 | 築地市場にて
梅雨入りなのに梅の作柄情報が少ない。3月の異常低温で梅の産地では凍結被害を受けていたが昨年からの持ち越しの在庫によって、需給のひっ迫感が少ない。梅も被害を受けたが畜産の状況も酷い。宮崎の口蹄疫の影響がどこまで行くか予想が出来ないが終息してから考えるしかない。
 日本人の摂取するタンパク質の中でブタ・牛の類がどのくらいの比率を保っているか解らないが全国的に口蹄疫が蔓延した時、戦後農政が目指した農業が破壊されることとなる。
一つの台風が関東地方で好まれていた三浦大根を絶滅させた事もある。今では12月26日に築地市場に本物の三浦大根が入荷する。
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波除神社の陰祭り

2010年06月13日 | 築地市場にて
昨年の350年大祭から、縮小された祭りとなる。
11日金曜日から東京都が喚いていた波除神社の祭りが今日が最終日。休市なので場内は市場の人達は少ない。昨年と違って人出が少なく、警備の消防所の人達も暇そうにしている。梅雨入りが遅れているので場外はのんびりした空気が漂っていた。
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佐倉義民傳を観に行く 3

2010年06月12日 | 宅老のグチ
今の時代に佐倉義民伝の様々な意味を伝えるにはどの様な面を強調するのが感動を与えるのだろうか。食料自給率40%の日本で何で現在の事情を表現するのが適正か。自由化すれば安い農産物が日本に入って一時的には消費者は喜ぶだろうが破壊された日本農業は荒地を招き、世界的食料生産が不安定になった時、日本は金があっても食料を得ることが困難となるだろう。なぜなら自国民への供給を抑えても、契約先の日本に食料を送ることは食料生産国内の暴動を招きやすい。これは日本の大正年間に起きた米騒動が思い出される。シベリアに出兵に伴う物価高騰時に富山県魚津港から北海道に米を出荷しようとした光景をみて、富山の女衆が暴動を起こした。このことがきっかけとなって中央卸売市場が構想され、築地市場が昭和10年に開場した。
 劇場をでて渋谷の町に出ると何処に不景気があるかと思われるくらいの平日の雑踏だった。最近の中国の食料インフレが何時まで安価な食品を日本に出してくれるのだろうか。 
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佐倉義民傳を観に行く 2

2010年06月11日 | 宅老のグチ
このコクーン歌舞伎では新しい試みを行っているようで10日夕刊の日本経済新聞に劇評が載っていた。それによると佐倉義民伝は全体の構成が厳密に演じると矛盾した筋となるという。短い上演時間で観客に感動を与えるにはかなりの困難を伴うという。
 今回の筋書きでも印旛村の渡し場の設定でもその前段階から将軍直訴にいたる過程が不自然であった。また自由民権運動を弾圧する警官隊が出てきたが、明治の事情を知っていないと意味が通じないだろう。これはあらかじめビラを読んでいないと解らないだろう。今の日本の教育の最大の欠点は明治以後の歴史を教えない・重視しない教育となっている。それは立場によって論争することになるので態度で表明することを先送りしていることから始まる。
 明治の10年代に自由民権運動が盛んになって、ほぼ同時期に松方デフレで農民層の貧富の格差が広がった。このような時代に佐倉義民伝が観客に支持されたのである。それは薩長政権に対しての江戸から東京に住んでいた人達の官僚に対しての密かな反抗だった。そして全国的に佐倉義民伝の上演が進んだ。
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佐倉義民傳を観に行く 1

2010年06月10日 | 宅老のグチ
渋谷・コクーン歌舞伎 第十一弾

雨の築地市場の休み。予ねて気にしていた佐倉義民伝を観に渋谷に向う。もちろん切符は取っていない。満席なら都立中央図書館行きと決めて現地に向う。当日券は観客席の僻地ともいえるところを発売していて、予め不満が出ないように席が悪いとか一部のところが見えないとかネガティブな案内で、それでも9000円出して切符を殆どの人が買っているのでびっくり。しかし行き当たりばったりの観劇なのでもちろん修行と思って3500円の立見席となる。15分前に行列を作って係りの女性の案内で現場に到着。切符売り場で言っていて前の席の人が前のめりで観劇したとき、その後ろの席である立見席から一部見えないと言っていたが前のめりで観劇する姿は見えず、95%近くは見えた気がする。それよりラップセリフが聴きにくく意味が伝わらず理解が出来なかった。今の米あまりの時代に農民劇をやる不自然さは真の感動を呼ばない不自然さを感じた。
 今の東京の観客で江戸時代の百姓の生活は解るのだろうか。宗吾霊堂の中にある史料館では当時の下級役人の浪費を指摘していた。今の事業仕分けでで独立法人の経費の使い方が問題となっていたが、江戸時代の当時もその様な問題が生じていた。
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茶道と天下統一という本を読んで

2010年06月09日 | タクワン
たくわん漬のこと
漬物の中にたくわん漬というのがある。江戸時代初めに活躍した禅僧の名前がついた漬物であるが沢庵禅師が創ったことはないということが歴史家では通説となっている。しかしこの名称が沢庵禅師とどの様な関係があってついたかはあまり知られていない。
 『茶道と天下統一』という本が2010年4月に出版された。この著者は純粋な日本人でないため新鮮な視点で芸術と政治の関係を記述している。沢庵漬の名称の由来は徳川三代将軍家光の政治に関係していると思っているのでこの本は非常に参考となる。
 近代以前の国家は宗教と結びついた儀礼のシステムがあって、儀礼の内容が江戸時代初めには『公的な地位にあるものがその立場にふさわしい茶の作法を学ぶ』ことが必要だったという。システム化された儀礼を教える職業が発生するようになる。各大名はその儀礼を習うため雇用するようになる。武道師範と茶道師範は各大名の内部情報を幕府にもたらすようになる。また各大名は間接的に師範を通じて幕府の方針を探る場でもあった。沢庵禅師の大名好きという言葉は各大名が接近したことを現している。このような腹の探りあいのようなことを揶揄して、京都大徳寺で同時代修行した柳生宗矩・沢庵禅師・千宗旦の三人の関係から『沢庵漬』の名称が後の時代に付けられたと思う。
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福神漬の落穂ひろい1

2010年06月08日 | 福神漬
二本松少年隊のすべて 星亮一編から
この本によると東北の旧諸藩の人々が戊辰戦争を語り始めたのが50年後の大正6年頃からであるという。二本松の旧藩関係者が50回忌を行い、生き残った二本松の少年隊士が『二本松戊辰少年隊記』を発表し、その悲惨な戦闘を世に知らせた。
 二本松藩の服部誠一(撫松)と花香恭次郎では福島の感情はその根本から異なる。都市民権派の服部、自由党の壮士になった花香恭次郎。戊辰戦争の恨みが残る二本松と三春。今から思うと小さい藩が生き残るには厳しい時でもあった。ところで二本松藩士だった服部は戊辰戦争の時何処にいたのだろうか。
敗者の歴史は子孫と郷土の人々によって伝え残される。
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築地の荷物用エレベーター

2010年06月07日 | 築地市場にて
人間用のエレベーターと違って、荷物用のエレベーターには車が載れない。つまり原始的な手動の台車等で荷物を車まで運ばねばならない。または駐車する場を荷物のところまで行って駐車しなおさなければならない。また自動でドアが閉まらないのでマナーの悪い人がエレベーターを使用したり、二人で独占的にエレベーターを使用されると非常に効率が悪い。さらに故障が多く点検時に使用する台数が減る。この様な使用状況は築地だけでなく統一されてない人達が使用する荷物用エレベーターの効率の悪さである。だから建築家の作る市場案は立体が嫌われる。多くの荷物を集めることは駐車位置を移動すると効率が悪い。
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徹夜の一週が終わって

2010年06月06日 | 築地市場にて
同僚がぎっくり腰で数日休むことになって、人のやりくりの都合で築地の2時労働となった。少し前に徹夜した時よりは築地市場内外はより閑散としていた。逆に空いた築地で荷物の積み替えをする車の勢いが目立つ。地方の市場では荷物が揃わず大都市からの転送で品揃えとなってきたのだろうか。ここで目立っているのが外国人労働者の減少だと思う。バブル期の築地は高齢の日本人と若年外国人労働者によって支えられていた。今は若い日本人がずいぶん参入してきたと思う。
 
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矛と盾を売る

2010年06月05日 | キムチ
矛と盾を売る
中国の故事に『矛盾』という言葉があります。
韓非子の中にある話です。ある商人が防御をする盾を左手に持って売っていました。どんな矛でもこれを突き抜けません。そして今度は右手に持っている矛を掲げて、この矛で破れない盾はありませんと言っていた。それを観ていた通行人は右手の矛で左手の盾をついたらどうなる?と質問した。商人は答えられなかった。
 海外にすし用のガリ(甘酢生姜)を売る仕事と韓国のキムチを日本人に売るのは心情的に矛と盾を商うことと似ている。もちろん矛盾とはならないのだがどうやら調べてゆくと色々な問題が出てきそうだ。
過日麻布十番にある在日韓国人歴史資料館に行ってきた。昔は入場無料だったそうだが今では有料となっている。ここはミシュラン的には★の対象外だが意外な事実やそれぞれ一部の人は知っていて、それでも伝えることなく沈黙するところとなっている。キムチの歴史もこの沈黙で記録のないものを明らかにすることから始まるしかないのだろうか。味というものは変化が激しく、おいしいと思った食品も十分食べると飽きてくる。

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戦後の食糧事情のあと

2010年06月04日 | 築地市場にて
戦後の食糧事情のあと
戦後の食糧事情の悪い時でも築地市場には他で食料となるものが捨ててあったという。これは今の発展途上国でごみ置き場を捜して生活物資を獲得しているスラムの住人の生活状態と似ていた。
 その様な時に創業した人達の子孫たちがこの不景気で引退しつつある。悲惨なのはバブル期に相続税対策をした人たちで、土地等の資産価値が下がり、何も対策をしなかった人達が優雅に暮らしている。やはり健康が一番かも知れない。築地の移転問題の深層には相続問題が隠れているとは誰も気がつかないだろう。何しろ築地は一等地の隣にあって、午前2時に出勤するには近所に住まないといけない。商売不振と資産とのバランスが築地では非常に悪い。移転か店舗移動かどちらも間もなくやって来る。
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梅の季節で

2010年06月03日 | 築地市場にて
今年の春の天候不順が梅の作柄に現れている。特に和歌山以外の量と質が悪い。和歌山も良くないが昨年の在庫が豊富なので何とかなりそうである。ただ例年なら不作の年は梅の粒の大きさが大きくなるのだがあまり変わらないという。どんな結果となるのだろうか。今年の生梅は固定客のみの販売となるところが多いだろう。
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カラスとツバメの空中戦 築地

2010年06月02日 | 築地市場にて
カラスとツバメの空中戦 築地
築地市場のどこかで巣作りをしているツバメとカラスが休市の閑散とした所で追いかけっこしている。どうやら巣で雛が孵ったようでカラスを追い払う行動に出ているように見える。少し前はツバメとカラスはすれ違っているだけで戦っているようには見えなかった。開市日は人が多いので嫌われ者のカラスが目立たないが休市にはやはり隣の浜離宮から来ていたずらしている。
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江戸バス

2010年06月01日 | 築地市場にて
中央区中央図書館のかえりに『江戸バス』にあった。この中央区のコミュニティバスは中央区役所の所で日本橋コースと勝どき・晴海・月島コースを乗り換えることが出来る。このバスの中で国分の会社名が書いてあるバスがあった。創業300年と言うから宝永のころからあったのだろうか。さらに日本橋漬の瓶詰があった。これは大正の初めに発売された福神漬である。多分300年も続く国分にとって日本橋を循環するバスにはご当地名の付いた福神漬がふさわしいと思ったのではないのだろうか。
 富士山の最後の大噴火も300年もたったのだろうか。
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