東京は昨日、梅雨明けになったらしい。
今年は雨の日が多くて、日照時間も過去最低レベル。
それでも梅雨が明けて、猛暑がやってくると決まって
『暑いのは嫌』だと贅沢な事を言う。
日本100名山踏破を目標に登山をしていた若い頃は
『梅雨明け10日』と言って天候が安定した時期を登山に充てていた。
北は利尻富士に始まって、南は南アルプスで終わり、結局のところ
50峰程度を踏破して、その後は登山をぱったりと止めてしまった。
尾瀬界隈の至仏山、燧岳、平が岳と言った上越の山を始め、
山梨県の甲斐駒ケ岳、北岳、八ヶ岳、瑞牆(みずがき)、金峰山なども登った。
いわゆる『後立山』と呼ばれる白馬から唐松岳、五竜岳、鹿島槍が岳、
布引山、爺が岳、岩小屋沢岳、針の木岳、蓮華岳、北葛岳、七倉岳、船窪岳までの山は
それまでに踏破していた。
一番の思い出は、最後の登山になった9日間の北アルプスの南側を歩き回った登山かな?
夜行列車で東京を出発して、明け方からブナ立て尾根を登り、
烏帽子岳へ登ってその日は烏帽子小屋で一泊。
翌日は横殴りの大雨の中を野口五郎岳まで移動して山小屋で2泊目。
翌日から天気が回復した中、登山靴を間違えられるアクシデントに遭いながらも、
靴ズレと戦いながら水晶岳、祖父岳を登って、一旦高天原まで下山。
そこで温泉に浸かって、3泊目を過ごして翌日は雲ノ平まで再び登った。
雲ノ平で山を眺めながら、昼寝して一日ボケーと過ごして、三俣山荘で4泊目。
翌日は鷲羽岳へ登り、三俣蓮華に戻って5泊目。
翌日は三俣蓮華岳、双六岳を経由して、一気に西鎌尾根から槍ヶ岳まで移動。
ここで一泊して6泊目。
翌日の明け方に槍ヶ岳山頂で御来光を見た。
そのまま穂高まで縦走しようと思ったけれど、流石に疲れてその日のうちに
槍沢を一気に下って、上高地まで降りた。
一人で登山していたので、その日の気分で移動したかな?
無計画で、あまり褒められる登山では無かったけれど、
会社の夏季休暇の9連休をフルに使っての登山は楽しかった。
結局、それが最後の登山になってしまったのも思い出に残っている理由かも?
今は中高年の登山が流行って、事故も多いけれど僕は体力的に、
若い頃のようには登れない気がします。
今の会社は八ヶ岳や南アルプスが近いけれど、もう上る気がしない。
僕にとって、もはや山は登るものじゃない、眺めるものです。
今年は雨の日が多くて、日照時間も過去最低レベル。
それでも梅雨が明けて、猛暑がやってくると決まって
『暑いのは嫌』だと贅沢な事を言う。
日本100名山踏破を目標に登山をしていた若い頃は
『梅雨明け10日』と言って天候が安定した時期を登山に充てていた。
北は利尻富士に始まって、南は南アルプスで終わり、結局のところ
50峰程度を踏破して、その後は登山をぱったりと止めてしまった。
尾瀬界隈の至仏山、燧岳、平が岳と言った上越の山を始め、
山梨県の甲斐駒ケ岳、北岳、八ヶ岳、瑞牆(みずがき)、金峰山なども登った。
いわゆる『後立山』と呼ばれる白馬から唐松岳、五竜岳、鹿島槍が岳、
布引山、爺が岳、岩小屋沢岳、針の木岳、蓮華岳、北葛岳、七倉岳、船窪岳までの山は
それまでに踏破していた。
一番の思い出は、最後の登山になった9日間の北アルプスの南側を歩き回った登山かな?
夜行列車で東京を出発して、明け方からブナ立て尾根を登り、
烏帽子岳へ登ってその日は烏帽子小屋で一泊。
翌日は横殴りの大雨の中を野口五郎岳まで移動して山小屋で2泊目。
翌日から天気が回復した中、登山靴を間違えられるアクシデントに遭いながらも、
靴ズレと戦いながら水晶岳、祖父岳を登って、一旦高天原まで下山。
そこで温泉に浸かって、3泊目を過ごして翌日は雲ノ平まで再び登った。
雲ノ平で山を眺めながら、昼寝して一日ボケーと過ごして、三俣山荘で4泊目。
翌日は鷲羽岳へ登り、三俣蓮華に戻って5泊目。
翌日は三俣蓮華岳、双六岳を経由して、一気に西鎌尾根から槍ヶ岳まで移動。
ここで一泊して6泊目。
翌日の明け方に槍ヶ岳山頂で御来光を見た。
そのまま穂高まで縦走しようと思ったけれど、流石に疲れてその日のうちに
槍沢を一気に下って、上高地まで降りた。
一人で登山していたので、その日の気分で移動したかな?
無計画で、あまり褒められる登山では無かったけれど、
会社の夏季休暇の9連休をフルに使っての登山は楽しかった。
結局、それが最後の登山になってしまったのも思い出に残っている理由かも?
今は中高年の登山が流行って、事故も多いけれど僕は体力的に、
若い頃のようには登れない気がします。
今の会社は八ヶ岳や南アルプスが近いけれど、もう上る気がしない。
僕にとって、もはや山は登るものじゃない、眺めるものです。