『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、楽しく生きる事
周りにも笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

終戦の日

2024年08月15日 | ジジイの呟き
僕の親父は常々『戦争は単なる人殺し』と言い続けていたので、
その影響を受けて、僕は育っている気がします。
毎年、この時期になると戦争関連の番組が多くなるので、出来る限り視聴した。
高校生の頃は、お袋が読んでいた阿川弘之の『山本五十六』を借りて読んだり、
最近は太平洋戦争研究会編著の単行本『東京裁判の203人』を読んだりしている。


日本国政府と軍は戦争を継続するために、嘘の情報を流し続けて国民を騙し、
将来ある若者を戦場に送り、多くの若い命が犠牲になった。
敗戦後、その責任を追及され、当時の軍指導者が東京裁判で裁かれた。
日本のA級戦犯は1945年(昭和20年)9月11日に逮捕命令(計13名)。
逮捕され死刑(絞首刑)になったのは以下の面々。
板垣征四郎(陸軍大将)
木村兵太郎(陸軍大将)
土肥原賢二(陸軍大将)
東條英機 (陸軍大将)
武藤章  (陸軍中将)
松井石根 (陸軍大将)
広田弘毅 (32代内閣総理大臣)

その他、終身刑の判決を受けた面々の殆どは、昭和30年には釈放されている。

昔から驚いているのが、1957年から1960年まで内閣総理大臣(第56・57代)を務めた岸信介の存在。
写真上段の左から2番目の人物です。
この岸信介は知る人ぞ知る、ついこの間暗殺された安倍晋三の祖父である。
岸信介は、第一次戦犯指名として1945年(昭和20年)9月11日に逮捕命令が出た、
A級戦犯13名の一人に名を連ね、A級戦犯被疑者として収監されるが不起訴となった。
のちに米国CIA(中央情報局)のエージェントとして活動し、戦後に再び権力を得た。

僕は、こういう経歴の戦争責任者である人間が、戦後10年で内閣総理大臣という、
日本の政治のトップに立てたという事に驚いているのです。
そしてその孫までが、内閣総理大臣になってしまったという事。
数年前に暗殺された安倍晋三に至っては、生前に書いた『美しい日本』の中で
祖父・岸信介の業績を称え、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることについて
「それは国内法で、かれらを犯罪者とは扱わない、と国民の総意で決めたからである」
と書き記した。

敗戦国の戦争責任者でありながら、戦後に戦勝国のエージェントとして活動したなんて
何と調子のいい人間なんだろう。
しかも、復権して戦後日本の首相にまでなってしまった。
この血筋の人間が、長きに渡って日本の政治を動かしているのか?
と、ずっと嫌悪感を持っていた。

日本人はこういう人間を政治家にしてしまうんだなぁ・・・なんて思ったり。
将来を夢見て居ながら、戦争で命を落とした多くの若者が生きていたら
このことをどう思うのだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする