鎌倉散歩で杉本寺から国の指定史跡になっている「永福寺跡(ようふくじ)」を巡ってきました。
永福寺は、源頼朝が義経や藤原泰衡など奥州平泉を攻めた後、戦で亡くなった武将の鎮魂のため立てたお寺で、本堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂と大きな池の庭園のあった大寺院だったようで2年前に復元されていました。
(現地の案内板に示された写真です)
復元された基盤や礎石が置かれ、二階堂を真ん中に阿弥陀堂、薬師堂の三堂を中心に惣門や南門、釣り殿、多宝塔が並び壮大な寺院の様相が伺い知れます。
当時は池の中にあった中ノ島は、埋め戻されて小さな山になっています。
永福寺跡は、三方が山に囲まれていますが、長い急階段を上り三堂の裏山の展望広場からもその規模の大きさが推定されますね。
展望広場には小さな祠が置かれていましたが、その由来はなんでしょうか?
永福寺を後にして近くの鎌倉宮へ参拝しました。
鎌倉宮(大塔宮)は、後醍醐天皇の皇子である護良親王を祀る神社で、鎌倉幕府の歴史を感じるスポットでした。
拝殿の横にある「なで身代わり様」では、護良親王親王の身代わりになって親王を守った村上義光公の像が置かれており、昨年来の足の回復を願っていました。
鎌倉宮の名物の河津桜が既に見頃となって参拝者のインスタ映えスポットとなっていましたが、福を呼ぶ花のようですね。
帰路に鎌倉七福神の寿老人を祀る「妙隆寺」に立ち寄ってみました。
寿老人は、不老長寿のシンボルである鹿を連れた木像ですね
境内には、開山の二代目日親上人の鍋かむり像や歴代住職のお墓が並んでいます。
小町小路を歩き鎌倉駅へ向かうと、「宇都宮辻子幕府旧蹟」の稲荷大明神が鎮座していますが、過って大蔵にあった鎌倉幕府を宇都宮辻子に移されて宇都宮辻子幕府跡で、現在は宇都宮稲荷神社となっている、鎌倉史跡です。
若宮大路へ出ると、大黒天様のような石像が立ちお疲れさまと見送ってくれましたね~
寒い一日でしたが、鎌倉の歴史に触れたブラ散歩でした。
永福寺は、源頼朝が義経や藤原泰衡など奥州平泉を攻めた後、戦で亡くなった武将の鎮魂のため立てたお寺で、本堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂と大きな池の庭園のあった大寺院だったようで2年前に復元されていました。
(現地の案内板に示された写真です)
復元された基盤や礎石が置かれ、二階堂を真ん中に阿弥陀堂、薬師堂の三堂を中心に惣門や南門、釣り殿、多宝塔が並び壮大な寺院の様相が伺い知れます。
当時は池の中にあった中ノ島は、埋め戻されて小さな山になっています。
永福寺跡は、三方が山に囲まれていますが、長い急階段を上り三堂の裏山の展望広場からもその規模の大きさが推定されますね。
展望広場には小さな祠が置かれていましたが、その由来はなんでしょうか?
永福寺を後にして近くの鎌倉宮へ参拝しました。
鎌倉宮(大塔宮)は、後醍醐天皇の皇子である護良親王を祀る神社で、鎌倉幕府の歴史を感じるスポットでした。
拝殿の横にある「なで身代わり様」では、護良親王親王の身代わりになって親王を守った村上義光公の像が置かれており、昨年来の足の回復を願っていました。
鎌倉宮の名物の河津桜が既に見頃となって参拝者のインスタ映えスポットとなっていましたが、福を呼ぶ花のようですね。
帰路に鎌倉七福神の寿老人を祀る「妙隆寺」に立ち寄ってみました。
寿老人は、不老長寿のシンボルである鹿を連れた木像ですね
境内には、開山の二代目日親上人の鍋かむり像や歴代住職のお墓が並んでいます。
小町小路を歩き鎌倉駅へ向かうと、「宇都宮辻子幕府旧蹟」の稲荷大明神が鎮座していますが、過って大蔵にあった鎌倉幕府を宇都宮辻子に移されて宇都宮辻子幕府跡で、現在は宇都宮稲荷神社となっている、鎌倉史跡です。
若宮大路へ出ると、大黒天様のような石像が立ちお疲れさまと見送ってくれましたね~
寒い一日でしたが、鎌倉の歴史に触れたブラ散歩でした。