曽我梅林の満開の梅を堪能し、宗我神社から歴史の街を散策していました。
別所梅林から曽我郷の鎮守様と言われる「宗我神社」へ向かいました。
「宗我神社」は、大和国の宗我都比古神社の神主だった宗我保慶が、祖先の宗我都比古命と武内宿祢命を祀って社を創設された神社で、平家によって灰燼にされたが、曽我祐信(曽我兄弟の義父)が再建し、その後も小田原城主によって再建された歴史ある古刹だそうです。
宗我神社の二の鳥居横には、ご神木の樹齢700年のケヤキの木に、幾つもの寄生木が生息しており、奇妙な光景でした。
社殿の裏には、多くの石塔群や摂社が立ち、古刹の風格を感じていました。
宗我神社から曽我兄弟の菩提寺の「城前寺」へ向かうと、参道入口の民家にも素晴らしい枝垂れ梅が満開となって美景を見せています。
「城前寺」の入口には阿弥陀仏が迎えてくれましたが、この阿弥陀如来様は、忠臣蔵の赤穂浪士の吉田忠左衛門の子が亡き父を偲んで立てられたものだそうで孝行阿弥陀と言われています。
境内の本堂裏には、曽我兄弟の仇討ちで有名な曽我兄弟と曽我祐信・満江の五輪塔のお墓があります。
お墓の前には、曽我兄弟の幼い頃の銅像や子育て地蔵が立っています。
また、お寺の入口には、澄禅地蔵六体が立ち由緒あるお地蔵さまのようです。
城前寺から細い道の先に、太宰治の代表作「斜陽」の舞台になった、雄山荘跡が残されており、現在は雑草が延びた空き地となっています。
その先の曽我宅跡地には、藤牡丹しだれ梅が満開ではありませんでしたが、見事な姿を見せています。
その先の法連寺では、日本三大仇討の一つ曽我物語としても有名な曽我兄弟の母満江御前の墓や紅白の枝垂れ梅に囲まれた子育て地蔵が見られました。
「」
法蓮寺から県道を経て国府津駅へ向かう途中では、こちらでも民家の枝垂れ梅が満開となって色鮮やかな姿を見られます。
蓮台寺の境内には、素晴らしい石の像が並んで思わず足を止めていました。
さらに、駅近くの菅原道真を祀る「菅原神社」に立ち寄ってみました。
「菅原神社」は国府津の天神さんと言われているそうで、菅原道真の他天照大神など七神が合祀されていました。
また、「曽我の隠れ石」や「撫で牛」が置かれ、ご利益が多い神社でしたね
お天気に恵まれて小田原の曽我梅林や曽我物語にまつわる歴史や自然に触れてお散歩気分を楽しみました。
別所梅林から曽我郷の鎮守様と言われる「宗我神社」へ向かいました。
「宗我神社」は、大和国の宗我都比古神社の神主だった宗我保慶が、祖先の宗我都比古命と武内宿祢命を祀って社を創設された神社で、平家によって灰燼にされたが、曽我祐信(曽我兄弟の義父)が再建し、その後も小田原城主によって再建された歴史ある古刹だそうです。
宗我神社の二の鳥居横には、ご神木の樹齢700年のケヤキの木に、幾つもの寄生木が生息しており、奇妙な光景でした。
社殿の裏には、多くの石塔群や摂社が立ち、古刹の風格を感じていました。
宗我神社から曽我兄弟の菩提寺の「城前寺」へ向かうと、参道入口の民家にも素晴らしい枝垂れ梅が満開となって美景を見せています。
「城前寺」の入口には阿弥陀仏が迎えてくれましたが、この阿弥陀如来様は、忠臣蔵の赤穂浪士の吉田忠左衛門の子が亡き父を偲んで立てられたものだそうで孝行阿弥陀と言われています。
境内の本堂裏には、曽我兄弟の仇討ちで有名な曽我兄弟と曽我祐信・満江の五輪塔のお墓があります。
お墓の前には、曽我兄弟の幼い頃の銅像や子育て地蔵が立っています。
また、お寺の入口には、澄禅地蔵六体が立ち由緒あるお地蔵さまのようです。
城前寺から細い道の先に、太宰治の代表作「斜陽」の舞台になった、雄山荘跡が残されており、現在は雑草が延びた空き地となっています。
その先の曽我宅跡地には、藤牡丹しだれ梅が満開ではありませんでしたが、見事な姿を見せています。
その先の法連寺では、日本三大仇討の一つ曽我物語としても有名な曽我兄弟の母満江御前の墓や紅白の枝垂れ梅に囲まれた子育て地蔵が見られました。
「」
法蓮寺から県道を経て国府津駅へ向かう途中では、こちらでも民家の枝垂れ梅が満開となって色鮮やかな姿を見られます。
蓮台寺の境内には、素晴らしい石の像が並んで思わず足を止めていました。
さらに、駅近くの菅原道真を祀る「菅原神社」に立ち寄ってみました。
「菅原神社」は国府津の天神さんと言われているそうで、菅原道真の他天照大神など七神が合祀されていました。
また、「曽我の隠れ石」や「撫で牛」が置かれ、ご利益が多い神社でしたね
お天気に恵まれて小田原の曽我梅林や曽我物語にまつわる歴史や自然に触れてお散歩気分を楽しみました。