南青山の永平寺別院・長谷寺から西麻布を経て乃木坂にある乃木神社へとぶらついていました。
青山公園を過ぎて、国立新美術館を眺めながら乃木神社へ向かいます。
「乃木神社」は、明治時代に活躍された軍人の乃木陸軍大将を祀る神社で、今も「乃木坂」の名前の由来となっていて、先に訪れた「東郷神社」と共に、パワースポットと言われています。
二の鳥居の両側には、珍しい石灯籠やボールのおみくじ結びが設置されて参拝者の心が伝わってきました。
拝殿に参拝し明治天皇を追って殉死されたご遺徳を偲んでいましたが、明治神宮を参拝した後でしたので、明治神宮にいるような錯覚を覚えていました。
宝物殿には、乃木大将が自刃された刃が保存されていました。
本殿の横には、摂社「正松神社」が鎮座していますが、幕末維新に多くの偉人を育てられた松下村塾の開祖の玉木文之進と吉田松陰が祀られています。
乃木将軍は、松陰の弟弟子だそうで、乃木大将の人格形成の基になった創建されたそうです。
拝殿の前の白梅も見頃を迎えて清楚な美しさに見惚れていました。
拝殿の左には、「雷神木」が立ち、例祭前に落雷があった折に身代わりで本殿を守った楠の木の大木で、今も大きく天に向かって聳えています。
境内の立派な石灯籠には、獅子や十二支の動物が彫られていました。
乃木神社の敷地内には、乃木大将が住まわれていた旧邸宅が保存されており、邸宅の周りの通路から窓越しに、乃木ご夫妻の室内を見ることが出来ました。
邸宅の横には、「乃木将軍と辻占売少年像」が立ち、金沢を訪れた時に、一家の生計を支えるために辻占売りをしながら一家を支えた少年の姿に感銘を受けた乃木将軍が、少年を励まして金弐円を手渡したと言い伝えられている記念像です。
敷地内にはレンガ造りの厩が残されており、軍馬「壽号」の厩舎でした。
旧乃木邸の御門も当時を偲ばれる素晴らしい門でした。
日本の誕生日である建国記念の日に、奉祝パレードの後、明治神宮や東郷神社、乃木神社などこの国の今日の発展の足跡を覗き見ながら表参道から青山付近をぶらぶら散歩でした。
青山公園を過ぎて、国立新美術館を眺めながら乃木神社へ向かいます。
「乃木神社」は、明治時代に活躍された軍人の乃木陸軍大将を祀る神社で、今も「乃木坂」の名前の由来となっていて、先に訪れた「東郷神社」と共に、パワースポットと言われています。
二の鳥居の両側には、珍しい石灯籠やボールのおみくじ結びが設置されて参拝者の心が伝わってきました。
拝殿に参拝し明治天皇を追って殉死されたご遺徳を偲んでいましたが、明治神宮を参拝した後でしたので、明治神宮にいるような錯覚を覚えていました。
宝物殿には、乃木大将が自刃された刃が保存されていました。
本殿の横には、摂社「正松神社」が鎮座していますが、幕末維新に多くの偉人を育てられた松下村塾の開祖の玉木文之進と吉田松陰が祀られています。
乃木将軍は、松陰の弟弟子だそうで、乃木大将の人格形成の基になった創建されたそうです。
拝殿の前の白梅も見頃を迎えて清楚な美しさに見惚れていました。
拝殿の左には、「雷神木」が立ち、例祭前に落雷があった折に身代わりで本殿を守った楠の木の大木で、今も大きく天に向かって聳えています。
境内の立派な石灯籠には、獅子や十二支の動物が彫られていました。
乃木神社の敷地内には、乃木大将が住まわれていた旧邸宅が保存されており、邸宅の周りの通路から窓越しに、乃木ご夫妻の室内を見ることが出来ました。
邸宅の横には、「乃木将軍と辻占売少年像」が立ち、金沢を訪れた時に、一家の生計を支えるために辻占売りをしながら一家を支えた少年の姿に感銘を受けた乃木将軍が、少年を励まして金弐円を手渡したと言い伝えられている記念像です。
敷地内にはレンガ造りの厩が残されており、軍馬「壽号」の厩舎でした。
旧乃木邸の御門も当時を偲ばれる素晴らしい門でした。
日本の誕生日である建国記念の日に、奉祝パレードの後、明治神宮や東郷神社、乃木神社などこの国の今日の発展の足跡を覗き見ながら表参道から青山付近をぶらぶら散歩でした。